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<寺門からの地底の感想と提案>
 

 前もって伺っていたお話や、インターネットでの画像からある程度の先入観を持って現場へ臨んだのですが、それをはるかに上回るスケールでした。あれだけの規模の構造物の中に入ると、それがたとえ人工物だとしても僕が抱いた感情は「自然」に対する畏怖のようなものです。「大きさ」と「暗さ」。それはやはり「地底」へ降りて行くということの要素が大きいのかもしれません。地上の構造物とは全く違った感覚でした。また、当然のことながら、「水」の気配が強く、この貯水槽が水で満たされる時のことをイメージすると戦慄を覚えました。まさに、関係者皆さんがシンボルとして想定しておられる「龍」そのもののような空間でした。

 ただ、(ここからは僕の勝手に沸き起こるイメージなのですが)「龍」のスケールで見るならば、この場所の龍はまだ若く(あるいは幼く)、小さな龍、であるような感じがしたのです。老龍や成龍ではなく、子供の龍、あるいは赤ちゃん龍=「BABY DRAGON」! それはもちろん、この施設が今生まれようとしている時期だからかもしれませんし、また、さらに深い地底を走る地球規模の大龍に比すれば、この僕たちには壮大なスケールの治水施設も小さな流れの一巻きに過ぎないからなのかもしれません。

 もしも僕がこの貯水槽にシンボルとなる「龍」を描かせていただくとするなら、恐ろしい風貌の既成のイメージに基づいた龍ではなく、生まれて間もないようなちょっとあどけない龍を、5匹、描きたいと思います。5匹というのは立坑の数です。今回の施設の完成によって、5つの新しい「水の渦」ができるわけで、いうなればその一つ一つが「龍の卵」です。実際にこれから永く施設が使われていき、そこから「BABY DRAGON」が生まれて育っていく、そんなイメージです。まだどこにどのように描くかということまでイメージできていませんが、メインとなる柱を5本選び、その上方、水が入ったときにも影響が少ない場所に描くのがよいかと思います。

 それとは別に、こんなこともイメージしました。この施設は今後、永く永く使われていくわけで、今回の完成時にシンボルを描いてそれでオシマイとするのではなにか違うような気がします。もっと継続的で、実際にこの施設を守り、使いつづけて行く地元の方が関わる形で、シンボル=「龍」をイメージできないものでしょうか? たとえば、「流し龍」。地元の小・中・高校生あるいはもっと幼児でもよいのですが、子供たちに龍の絵を描いてもらいます。それは習字用の半紙(長いやつとかもあった方がよい)に、墨で描くようにします。その絵をできるだけたくさん集めて、貯水槽の空間で展覧会をするのです。柱のコンクリートの表面にじかに糊で貼ります。ちょっと、「お札」のようです。それは柱の下のほう、水が入れば当然浸されてぼろぼろになるかもしれません。放水時には流れてしまいます。それが目的なのです。毎年、年中行事として子供たちの龍の絵を水に流すことによって、地元の方がこの施設を、いわば龍との約束の上で守り、使いつづけていく、という物語です。

 今年の完成式典の際には、5本の柱の上方にそれぞれ僕の描いたはなやかな色彩の「BABY DRAGON」。そして多数の柱の下方にたくさんの半紙の白地に墨で描かれた子供たちが自由に想像した龍たち。・・・という光景が地底に繰り広げられる、とイメージしてみました。とりあえず今の段階では・・・。

 寺門孝之


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