アクィーラの草迷宮
宗教学徒アクィーラ氏
 
第六回 『「氷山」と善悪の海』
 
今頃神戸はルミナリエ、
そして「てらぴかでっさんさろん」!
正直言って、行きたかったです、
「てらぴかでっさんさろん」!
「えんがわ」でのみなさんの書き込みを見るたびにそう思って、
地団駄踏んでしまいます。

「行きたかっタ」と過去形で言い切っちゃってるのは、
ボクと妻クァズーヨウが
或る已む無き理由で今秋谷から動けないからであって、
なにも「てらぴかでっさんさろん」が
すでに終わっちゃったわけではありませんから、
まだ足を運ばれていらっしゃらない皆様、
誤解無き様!!

そもそも、なぜ行きたかったかと言えば、
でっさん描いてほしかったという下心も
それはあるにはあるんですが、
実はそこにどうしても見たいものがあるんです。
それは
てらぴか夏の大作「氷山」!

9月にちょうど関西に出張があり、
クァズーヨウと2人してアトリエにお邪魔した際、
いまだ製作中で、
未完であったその作品。
「氷山」

まだタイトルが決まってなかったのに、
その時点ですでにゾゾゾーッと
ボクに武者震いをさせたその作品。
「氷山」

そのあと、寺門邸にお邪魔して、
翌日の仕事のことなどお構いなく、
ボクらに深夜まで熱く語らせたその作品。
「氷山」

ところが、
なにげなく「えんがわ」を覗いていたら、
三枝さんが「さろん」の訪問感想を書き込まれていて、
なんと、そこに
「あの大作『氷山』! 鳥肌立ちました。」
と、書いてあるではありませんか!

「そんなの聞いていないぞ」と
もう一度DMを目を皿にして見てはみるものの、
「でっさん、をたっくさん」
「新しい天使絵も」
の文字(もんじ)は見えども、
「氷山」の字は見えず、
気はそぞろ。

じゃあなぜにそんなに見たかったの?
とお思いでしょう。
なぜならと言うと、
それが非常にリアルだったんですよ。
その絵が。

リアルと言っても
描かれている姿形が写実的っていうこと
だけじゃなくって、
なにか、
このボクらの生きてる現実=リアリティを
そっくりそのまま写し取っているような感じがする
という意味で
ちょーリアル。

超リアルと言ってもシュール・レアルではない。
まさにリアル。

じゃあ、どの辺がリアル?
ということになりますが、
ここまでくると、
たんなるボクの一感想。
そんなもの聞くよりも、
その目でぜひ見てみて、
しっかと感じてきてください。
と、言い放つのも無責任。

「では!」と、
ここでちょっとだけ、
ボクが「氷山」(by Terapika)に感じたリアルの一部、
「善悪の海」をご開帳。
その絵をいまだ見ておらぬ方、
言葉の呪縛を避けたければ、
どうかここから先はお読みなさるな。
これは
当のてらぴかさんには
無断で広げた妄想が
網走(もうそう)をしてしまい
収拾つかなくなったもの。
まさにアクィーラの草迷宮。

その絵に描かれてあったもの、
マリア様に女の子。
それに、さまざまな動物たち。
キリン、ぞうさん、ライオンさん、
お馬に、恐竜?、お猿さん・・・。
それら多くの動物たちが
乗っていたものと思われる
大きな木製の箱舟とともに
ふかーいグラン・ブルーの海底へ
ゆっくーりと沈んでいく・・・。
身じろぎひとつもせずに・・・。

これは大洪水の後でせうか?
(ボクらが見せてもらったのは
ちょうど東海大水害の起こる前日!
それで、名古屋が大変なことになってると聞いて
クァズーヨウとボクは余計に背筋を寒くしました・・・
大雨の翌日、交通の復旧を待って
なんとか関東に戻ったものでした。)
その舟はノアの箱舟でせうか?
でも、ノアの箱舟であったならば、
沈まなかったはずではないんでせうか?
そもそも神はノアを正しい人であると認めたから、
箱舟に乗せたのではなかったのでせうか?

それとも、
善も悪もないんでせうか?
今の世の中、
神も仏ももはや死に、
善人は馬鹿を見るのでせうか?
やっぱりニーチェののたまうように、
善悪なんぞは所詮キリスト教的道徳で、
支配者どもが作り出す
自己保身のからくりだったんでしょうか。
「氷山」の絵の中で、
冷たい水に浸かっちゃったマリア様を、
ボクたちはニーチェとともに
善悪の彼岸(向こうぎし)から傍観して、
「はい、おしまい」
しちゃうのでせうか?

でも、
忘れちゃなりません。
もう一度、「氷山」を御覧なさい。
沈みゆく動物たちを見つめているのは、
ニーチェではないではないですか?
死後硬直のためにか、あるいは冷たさのためか、
「模型」のように少しも動かぬ動物たちとは対照的に、
身を翻しながら
生き生きとそれらを見つめる複数の存在。
サメやエイやウミガメたち、
海の生き物がいるではないですか!

それら海の生き物たちは、
ニーチェのように陸の動物たちを
愚かだと見ているふうでもなく
また、喪に服しているふうでもなく、
むしろ彼らの来訪を歓迎しているかのような、
しなやかな泳ぎ。
竜宮の舞。
何を想って舞っているのでしょう?

ボクの記憶が確かであれば、
「涅槃経」か何かの中で、
人間界で死人が出たら、
この世の人間ものどもは
人が「死んだ」と悲しむが、
他方、地獄の鬼たちは、
こちらの世界に新たな命、誕生したぞと喜ぶと
書いてあったよな気がします。

或る側面からは悪しきことも、
或る側面からは善きことで、
悪には善の種子が宿り、
善には悪の種子が宿る。
世の中に悪がはびこれば、
善くしようとの反作用、
善を徹底させようとすれば、
息苦しさが悪を産む。

「氷山」の絵には、
無数のベクトルが
さまざまな方向に
さまざまな大きさで存在し
さまざまなところで微妙な均衡を保ってます。
それらのベクトルを合成すれば、
いくつかの極を持つベクトルに書き換えられ、
さきほど見てきた善と悪や、
静と動、温と冷の極などの
さまざまな変奏をかなでておりますが、
もはや地母神に対してではなく、
海母神(la deesse de mere:海の女神)と習合した、
聖母マリア(la Mere de Dieu:神の母)の胸元の
掌(たなごころ)にその支点が集まっているように思えます。

そこに何があるのでしょう?
神戸は北野、J&Fの2階
「てらぴかでっさんさろん」の会場で
しっかとそれをこの目で確かめたかったのに!!

この2000年間は、
それはイエスと相場が決まっていたけども、
果たして「氷山」には何が?
何が描かれているのでしょう?
もはや行くことの叶わぬボクは
その謎を
二千年紀を越えて持ち越してしまいそうです・・・。
(2000.12.22. 2000回目のクリスマスを間近に控えて)

 
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