アクィーラの草迷宮
宗教学徒アクィーラ氏
 
第五回 『message from Unzen』
 
ここに一冊の本があります。
『楓たちの日々』と題されたその本は、
今からちょうど10年前、
1990年11月17日に突然噴煙を上げて、
ボクら島原に住んでいた人々の日常を、
ガラリと変えてしまった
畏峰雲仙岳の
噴火災害体験記録集として
ボクと妻クワズーヨウの通った島原高校がまとめた本です。

溶岩ドーム、大火砕流、土石流、大惨事、
死傷者、被害、警戒区域、避難生活
と、物々しい単語が並ぶその本の最後に、
なぜか高校生時代のボク、
アクイーラのエッセイが載っています。

とても体験記とは言えないそのエッセイには、
しかし、当時のボクにはとってもリアルに感じられた内的体験を
何とか言葉にしようと頑張っている跡が見られます。
ただ、結果的には空回りしてしまって、
果てに息切れしてしまってますが、
まあ、それは現在の草迷宮の萌芽とも言えるでしょう。
(成長がない!?)

そこで今回草迷宮では、
この10年間を振り返り、
また有珠山や三宅島の方たちへのエールの意味も込めて、
「雲仙からのメッセージ(超独創独断的私論)」
をご開帳。

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「雲仙からのメッセージ(超独創独断的私論)」
ここに一枚のスナップ写真がある。
私と五人の仲間がこちらを見つめていて、
背後にはまばらに紅葉した山林、
その向こうははるか遠くまで澄み渡っている。
その日付は'90・10・31、
場所は普賢の山頂である。
つまり噴火の約二週間前のできごとというわけである。

この時点までは、
雲仙には恵みの山としてのイメージがあった。
特に水に関しては名水百選に数えられるほどであり、
温泉も
(その名が温泉岳→雲仙岳となったほど)
全国的に知られている。
阿蘇の男性的な雄大さと好対照に
女性らしい優美な山として親しまれていたこの山が
噴火しようなどとは思いもかけなかった。
しかし、彼女は立ち上がった。
まるで現代の女性たちのように・・・。
二百年の沈黙から目醒め
優美の殻をかなぐり捨てて。

今、我々は彼女を見つめている。
彼女の行動を。
何のために?
それは生きるために!
我々の生活は彼女とともにあるのだ。
彼女の一年は我々の一年でもあるのだ。
初夏の躑躅(ツツジ)、
秋の紅葉、
冬の霧氷。
彼女は四季の移り変わりを我々の視覚に訴えかけてきた。

我々の側もそのような彼女を神聖視し、
“普賢”として畏敬の念を払ってきた。
言うまでもなく普賢とは釈迦如来の脇侍
普賢菩薩のことである。
山の霊性を認めることは万国共通のことのようである。
その昔普賢も
修験者が修行する
山岳信仰の場であったようだ。

その霊峰普賢が噴火するということは、
我々にとってどのようなことであるのだろうか。

そこでまず視点を変えてこの問題を解明していこうと思う。
確かに先に述べたように彼女の表層的な変化は
我々の時間軸と同じである。
だがその胎内はというと、
超時間的であり(時間にルーズなのである!?)、
我々人間の日常生活をしている時間軸とは全く異なるのである。
(そこでは二百年も一年も同じ直線上にはない) 
彼女はその噴火活動において、
我々人間の都合などは全く関係がないようであり、
今の人間の力では、
いつその活動を止める気なのかを探ることさえ困難なのである。

またあの吹き上げる灰は地球の内部で、
我々の測り知れない時間を熱い流体として過ごしている。
それが我々に降りかかってくる瞬間、
それこそまさに現在と地球誕生時の結合の刹那である。
この意味でも超時間的である。

次にその動きに注目したい。
「動き」と言うと何か抽象的であるが、
火砕流を例にとってみると、
それはズバリ「流れ」である。
流れといっても液体の流れではなく、
気体と固体の流れである。
おそらく煙を除いて、
固体を流れとして視覚的に捉えることは
初めての経験ではないかと自分で考えているのであるが、
煙もどちらかと言えば気体として捉えることが多いので、
やはり個体の流れというものは珍しい。
また土石流も大きく解釈すれば固体の流れと言ってよい。

なぜここで「固体の流れ」なのか。

我々の観念の中には固体は静止したものと
しっかり定義されている。
しかし彼女は
「どの固体にしても絶え間ない運動をしている。」
ということをあの禍によって暗に示したがっているのではないか。

結局、彼女は我々の構造化された知識を崩しにかかったのだと言える。
つまり、硬化した脳への痛烈な働きかけであったのだと、
少なくとも私には感じられる。

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10年前の1990年。
当時17歳のアクィーラの心身状態は、
1つのピーク(危機状態)に達していた。

胃潰瘍で毎朝嘔吐し、
過敏性腸症候群で肛門もゆるく、
内視鏡が上からも下からも入ってきた。
前立腺炎で10分おきに頻尿、プラス残尿感で、
体はボロボロ。

登校時にはジミ・ヘンを聞いて
目の前には紫・橙・黄緑のきれいなお花が咲き、
帰宅したらVIDEO DRAGを見て
またお花が咲いていた。

灰色の火砕流がどんどん迫ってきて
モクモクと大きくなり、
「やばいこれは呑み込まれるかも」
と理性の部分では思いながら、
思わず「きれかねえ(きれいだなあ)」
という言葉を漏らしてしまっていた。

昭和が終わり、80年代が終わり、共産圏が崩壊し、「歴史」が終わって、
「大きな物語」がフィナーレを迎えたといわれていたあの頃。
それまでのアワアワな好景気の中で、
ボクらの周りのアワアワな雰囲気を
かろうじて包み込んでいた薄皮に亀裂が走り
僕らの前でリアルがほんの少しだけ顔を見せ始めていたあの頃。
その後、
湾岸戦争が始まって、雲仙が噴火して、
5年後オウムがサリンを撒いて、神戸で震災があって、
目の前で立て続けにリアルは噴出していったけれども、
すぐさまテレビの中のフィクションに書き換えられていった。

雲仙の噴火は収まって、
島原はまた日常の生活を取り戻したけれども、
それとともに当時のボクにほんの少しだけ顔を見せてくれたリアルは、
溶岩ドームの亀裂が閉じたのと同時に、
再び地下深くへと眠りについて、
ボクの脳も再び硬化した。

しかし、リアルは常に噴出している、
マグマは常に動いてる。
ウスザン、ミヤケジマ。
今日も誰かがどこかでリアルな灰を浴びて生きている。

ボクもまた硬化してしまった脳を振るわせよう!
共振しよう、共鳴しよう。
でも、狂信だけはやめとこう。

合掌。
(2000.12.12.祖父与五郎の15回目の命日に)

 
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