アクィーラの草迷宮
宗教学徒アクィーラ氏
 
第四回 『死シテ屍ヒロウ者アリ』
 
皆さんこんばんは
ここ秋谷のある場所は、
大楠山という240mほどの小高い山の麓。
今の季節、その大楠山へ向う人の群れを
数多く目にします。
彼らは山伏!
ではなくて、
ハイキングやら山草採りやらを目的とした、
レジャーな人々。
ボクとクァズーヨウは、
山頂までは行きませんが、
ちょっとした穴場の水汲み場に、
飲み水を汲みに行きます。
この辺りでは、
大楠山の覆流水があちらこちらで、
湧き出しているのです。

考えてみれば水というのは実に宗教的なエレメントです。
柳田国男は、
一夜にして湧き出た泉が万病に効くといって
流行神(はやりがみ)化したという
「清水のハヤリガミ」の事例を、
『遠野物語拾遺』に載せていますし、
宗教学者関一敏によれば、
ルルドの泉の信仰は、
ピレネー山麓一帯に見られる、
病や苦痛を軽減するという「奇跡の水」をめぐる民俗的信仰を
基盤として出現したものであるといいます。
新宗教にも数多く水を使った信仰治療が見られます。
例えば明治期、
コレラの流行期に教勢を拡大し、
一時は天理教や金光教に肩を並べるほどになり、
『万朝報』の批判キャンペーンによって
「淫祠邪教」とされて急激に衰退した、
蓮門教。
そこは「神水」による病治しが売りだった。

さて、前回、
コレラの防疫・衛生活動の果てに、
「高串のコレラは私が背負っていきますからご安心下さい」
という言葉を遺し、
自らもコレラに罹ってこの世を去った増田巡査。
でも、彼は再び戻ってくるのです。
それも神として。
増田巡査の死後、
村人達は遺骨を分けてもらって小さな石碑を建てました。
全てはそこから始まります。

2人の息子がコレラに罹り看病していた中村幾治さん。
彼が、看病疲れでうとうとしてると
剣を抜いた白シャツ姿の大男が現れた。
「余はこの世になき増田敬太郎なるぞ、
高串のコレラはわが仇敵にして冥府へ伴い行きたれば
安んじて子らの回復を待て、ゆめ看護を怠りそ」
と言ってその男は消え失せた。
実は増田巡査の死を知らなかった中村さん、
事実を知らされて大感激。
看護を尽くして2人の息子は完治しました。

その話が村人に広まり、
また村のコレラも全て収まり、
増田巡査は神様だということになりました。
みんな村の再生を感謝して
石碑にお参りするようになりました。
感謝の対象増田巡査。

ある日のことです。
リウマチ持ちで起居不自由なお婆さん。
「増田巡査はあれだけ荒れ狂ったコレラさえ退散させたのだから、
自分の病気もお祈りすれば聞いてくれるだろう」
と思い立ち、朝な夕なに石碑にお参り。
すると不思議と痛みが和らぎ、
身体の自由がきくようになったそうです。

それを聞いた人々が、
病気平癒の参拝に、
我も我もと訪れる。
マスダサンの噂は同心円状に広まって、
参拝する人の群れ、
地元高串だけでなく、
近隣唐津や伊万里からも、
隣県福岡・長崎からも
船を使ってやってくる。

最初はコレラの神様で、
病気全般の神になり、
果ては航海の神様、商売の神様にまでなってしまう。
それにつれて、
石碑には屋根がついて拝殿となり、
鳥居に狛犬、玉垣と、
神社らしくなっていきました。
そこはいつしか増田神社と呼ばれるようになりました。

そうそう、その昔、増田神社の夏祭りでは、
甕に入ったご神水を求める人の群れがあったという。
これを貰い身体につければ、
病や痛みが癒えるという。
流行神としての増田巡査。

明治・大正と時代が下り、
石碑は神社になっていって、
増田神社は近代佐賀の庶民信仰の
ニューウェーブとなりました。

しかし、時代が昭和になって、
だんだーんと、きな臭くなっていくと、
話はチト異なります。

警察と教育の関係者連が、
増田巡査は犠牲的精神を発揮した模範的人物だと言うて、
顕彰に乗り出します。
彼らはいっぱい伝記を書いて、
それを劇やレコードなどにし、
いかに増田巡査がエラカッタカを、
みんなに広めようとします。
まるで
「自らの命を犠牲にしてまでエライでしょ?
みんなも後に続きましょう」
とでも言わんばかりに。
それで警察学校の集団参拝、修学旅行が行われたりしています。

(ボクガ、カタリタクナカッタワケハココニアル。
エライトイウノハクセモノダ!
エライトイウノハクセモノダ!
モチロン、ボクモ、
カレノヤッタコトハエライトオモウ。
エライトオモウガ、
ソノエラサヲヒトニシイルノハイカガナモノカ。
ボクモカレラトオナジヨウニ、
ジュンサニツイテカタッテイル。
ダケドモカレラノコトモカタルコトデ、
ケンショウニハノリダサズ、
ケンショウヲノリコエタイ!)

こうして、増田神社には、
現世利益の参拝者だけでなく、
警察官や教育者といったオエラ方、が加わって、
我が物顔で仕切り出す。

彼らは結構頑張って、
修身(道徳)の教科書掲載や
映画化まであと一歩というところまで行ったという。
「警神」「巡査大明神」としての増田巡査。

死して屍ひろわれて、
感謝されたり、
流行神になったり、
警神になったりと、
いろんな顔を持つに至った増田巡査。
彼はジョーカー。
いろんな役を引き受けて、
その果てに死に至り、
死してなお、
いろんな役を引き受ける。
彼は語らない。
それがゆえに、
人々は彼について饒舌に語り出す。


増田巡査の受難曲。


その音楽はどのような響きを持つのだろう?

 
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