前回の草迷宮では、
ジャパニーズ・ミューズの神々の息吹に
インスパイアーされるまま、
一気に吟唱してしまい、
ちょっと息切れ。
今回は十分息を継ぎながら、
神様になったお巡りさん、
増田敬太郎巡査の、
生前の活動についてご開帳致します。
ただ、正直なところ、
ボクはあんまり語りたくありません。
(その理由は次回お話します。)
でも、語らずにはおれません。
ボクはすでに巻き込まれ、
嫌悪感と魅惑に引き裂かれ、
どうにも修復不可能に、
なったところで語り出す。
大きな力に畳み込まれた
語り部アクィーラの草迷宮。
1895年といえば、
日清戦争が終わった年で、
当時日本という国は、
戦勝ムードに酔い浸り、
凱旋の宴がここあそこで催される有様。
人も集まれば、そりゃ酒も飲むでしょ。
返杯に継ぐ返杯。
祝いの宴となりゃ、そりゃ刺身なども食べますわな。
大陸土産のアジアンコレラ、
口から口へと感染し、
全国で患者五万五千、
死者四万人の大惨事。
そんな時代のことでありました。
この年6月、泉鏡太郎は「外科室」と「夜行巡査」を発表し、
文壇デビューを果たしました。
この年7月、増田敬太郎は佐賀県巡査に応募して、
コレラの流行地入野村高串に赴任しました。
鏡太郎は病的なまでの潔癖症。
彼はコレラや赤痢を怖れ
万事に気をつけていたとのこと。
酒はグラグラの熱燗。
常に消毒用のアルコールを持参し、
キセルの吸い口はいつも清潔。
鏡太郎の師匠尾崎紅葉は、
翌96年に『青葡萄』を発表。
住みこみ書生「春葉」がコレラに罹り、
警察と検疫係によって病院送りにされる話。
作中の「自分」(紅葉)は、巡査への嫌悪感を隠さない。
「自分は巡査なるものは謂うばかり無く嫌忌(きらひ)である。
別に意味も無く、唯嫌忌なのである。」
コレラの大流行の最中、
そういう嫌われる存在であった巡査に、
増田敬太郎はなったのでありました。
増田巡査がやったこと。
衛生委員に摂生、清潔、消毒、隔離の指導。
患者の隔離のための交通遮断。
看病人の消毒。
患者の汚物処理と消毒。
食器の清潔と生水の飲用禁止などの衛生指導。
患者の看病。
死体処理。
生きて屍ひろっていたのでありました。
彼は赴任してからの3日間、
そういうことをやっていたのだそうです。
任務と言えば任務だけど、
えらいと言えばえらい。
(コノ「エライ」トイウコトバガクセモノダ!)
だから神様になったのか。
たぶんそうではありません。
話はまだまだ続きます。
3日目彼は自らコレラに罹り、
亡くなってしまいます。
「いまわ」の際に彼が言ったこと。
「高串のコレラは私が背負っていきますからご安心下さい」
そう言い遺して亡くなります。
そして、
高串のコレラは本当に収まってしまったのでありました。
めでたしめでたし。
ではありません。
生きてコレラ患者の屍ひろっていた増田巡査が、
死して屍ひろわれて、
神にまでなるのはこの後のこと。
次回、三部作フィナーレ「死シテ屍ヒロウ者アリ」
オタノシミニ。
(今回ココマデ引ッ張ッテオキナガラ、
結局大団円ハ次回ニマデ持チ越シカ。
吾ガ腹ノ虫ノ居場処ナシ!)
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