服家小銀杏庵

 小話その1 

ハンケチ

*てらぴかのえんがわ*にお越しの方々、
はじめまして。松本小銀杏(まつもとこいちょう)です。
この度、僕のファッション小話を掲載していただく事になりました。
このようなスペースを作っていただき、
よーしゃなく喜び、意気込んでおります。

毎回テーマを決め、その事柄について、
「斬る!KILL!着る!」
という形でお話していきます。

この{服家小銀杏庵}でお話する事は
私、小銀杏が日頃思いを漂わせている事のうち、
ファッションについてのみお話させて頂こうと考えているのですが、
時々、話がそれて暴走するかもしれません。
いや、します。
ここでお話することはすべて、僕の一方的な考えで作られており、
一般的ではないかもしれません。
いや、ないです。

どうか、怒らないでください。
*えんがわ*にお越しの方々の広い心に甘えながら
続けていきたいと思います。

不定期ですが、時折のぞいていただければ幸いです。
重ねてお願い致しますDEATH。

★★★小銀杏の作り方★★★

まずは小銀杏の作り方についてお話します。
僕、小銀杏がどのようにして作られていったかというお話ですが、
僕が服を作り始めたのは高校生の時です。

中学生の頃からファッションに興味を持ち始め、
今の若い人達がしているのと同じように
ファッション雑誌を読み、ファッションモールに足を運んでは
限られたお小遣いで当時カッチョ良いと思っていた服を買って、
体に巻きつけて遊んでいました。
(今はBASARAKAWARAを巻きつけて遊んでいます)

高校生のある時、公募雑誌を読んでいると
「ファッションデザイン大賞」という欄に目が止まり、
何故だか応募しようと考えたのDEATH。

この手のコンクールの運び方は、
まずデザイン画を募集して、審査員の方々が抜粋していきます。
これを一次審査として、二次審査はデザイン画どうりの服を作り、
それをショー形式で審査員の方々に見て頂き、
大賞、その他の賞を決定していくという形が主流です。

しかし、絵をろくに描いた事の無い僕が受かる事も無く、
結果はことごとく「DEATH」でした。
実物を見てもらはないと僕の考えは伝わらない。
一次審査を通らなければ、実物は作れない。
でもやっぱり、一次審査は通らない。
それだったら大賞なんか関係無い処で実物から作ってやる!
「審査員の先生方、びっくりしてそりかえんなよっ!」と、
半ば逆恨みに近い熱意によって僕の服作りが始まったのです。

それからは雑巾も作った事のない僕でしたが、
(もし、本当に通っていたらどうするつもりだったんでしょうか。
今思うと、汗だくな小銀杏DEATH。)
母に教わりながら、装苑(そうえん)を見ながら縫い始めました。
(装苑は当時、型紙などの書き方も載っていて、
若き日の僕のバイブルとして活躍していただきました。)

ですが、子供服しか作った事のない母と、
型紙は載っていても作り方が載っていない本
(難易度やアドバイスは載っていましたが
その当時理解出来るレヴェルではありませんでした。)とでは
やはり限度があり、これはやはり専門学校で学ばなければいけない。
と考えた僕は入学案内を取り寄せていました。

学校は神戸にある神戸ファッション専門学校に決め、入学しました。
この学校を選んだ理由は、
小さな学校で生徒が少なかった事です。
技術を身に付けるのにはマンツーマンな授業が
良いのではないかと思ったからです。
それから本格的に服作りが始まりました。

一年間はおとなしく通いこなしました。
二年生の時に寺門さんが学校の講師、僕が一人のおかしな生徒
という感じ(どう言う感じなんでしょうねぇ)で出会い、
それから色々お話させていただく機会も増えていき、
個人で服を作っていると言う話から、
寺門さんの服も作らせて頂くようになりました。
(一番始めに作ったのは、長袖の下着でした。)
それをいたく気に入ってもらい、色々なアイテムも作っていきました。

寺門さんが、絵を描く時に作業しやすい服を作って欲しい、
今の洋服では、作業がしずらく、しかも第一 、
日本人なのに、洋服を着なければいけないんだろう、
と言われた時、身の毛が太りました。
僕もその点に関しては同じような疑問を抱いていたので、
急いでこれは形にしていかなければいけないと思い、
僕がサンプルを作っていき、それを寺門さんに着てもらう。
という形で進んでいきました。

そうして作業もしやすく、かつ洋服とは違う和服のSOULをもった物が
いくつか出来あがりました。二人は大満足。そこで、
これは色んな人達にも着てもらわなくてはいけない、
数少ないであろうが、気に入ってくれる人もいるはずだ、
という思い至極から作り始めたのがBASARAKAWARAなのです。
(この経緯は
 Terapika yesterdays 19990812 でご覧になれます)

BASARAKAWARAのコンセプトは「和の心を持った作業服」です。
サブタイトルは「着れば解かる」です。
このコンセプトに共感された方、一度御試しあれ。DEATH。


長くなりましたが、次のテーマに移らせていただきます。
今回のテーマは
★★★「《ファッション》=《服》について」★★★
です。

僕が思っている服の役目とは、「使いやすさ」に尽きると思います。
こう言ってしまうとこのテーマは書く事が無くなってしまうのですが、
僕はそう思っています。

服を着る時によく、「T.P.O.(時間、場所、場合)」と言いますが、
これって、使いやすさの事を言っているんだと思うんですよ。
例えば、農作業をしている男の人を思い浮かべてください。
彼はネルシャツを着て、ジーンズをサスペンダーで吊っています。
頭には麦藁帽子、ゴツいブーツを履いています。
彼のしている服装は街に出ると変でしょう。パーティーでも変です。
でも、

「T−日差しの強い日。
P−農場
O−物を担いだり、怪我をするかもしれない」

この時には
この格好意外に考えられません。
僕は彼はものすごくお洒落で、格好が良いと思います。
(シャツはほとんどそうだと思うのですが、肩の部分は二重になっています。
これは、シャツが昔は作業服であったナゴリです。【小銀杏服雑学より】)
作業服だけがそうではありません。高価な洋服だって使うべき時があります。

例えば夏、パーティーに出掛けている年配の女性を思い浮かべてください。
彼女は背中がパックリ開いたドレスを着て、手には小さなバッグ。
高いヒールの靴を履き、シースルーのコートを着ています。
小さなバッグを持った手には大きな石の付いている指輪がいくつもあり、
首には数珠のようなネックレス。これでは反対に農作業は無理ですね。
でも、

「T−夏場
P−パーティー会場に出掛けている
O−挨拶をしたり、話をしたりする」

この時、この年配の女性は
お洒落で、素敵に見えると思うのです。
もしかして胸の開いているドレスを着ていたら、
ショルダーバッグを持ち歩いてスニーカーを履いていたら、
コートを着ていかなかったら変ですものね。
しかし、パーティーはこの格好が一番こなしやすいのです。

その場に合っていて、やらなくてはいけない事がやりやすい。
それを助けるのが服だと思うのです。
そういう着方をしている人達がCOOLだと感じさせてくれますね。

そういうことから、僕は道具だと思ってるんです。

鋏やナイフのような物で、それぞれの仕事にそれぞれの鋏やナイフが
あるように、服もそれぞれの仕事が行いやすいようにする道具だと思います。
その代わり使い方を間違えるとケガ(色んな意味で)をしかねません。
刃物ですから。

諸刃の剣のような物ですかね。
刃物は振り回さずに手入れをして、慎重に使いたいですね。
そうすれば長持ちしますし、馴染んできます。
あっ! やっぱり服といっしょだ。

BASARAKAWARAは絵描きの服として始まりましたが、
物作りをされてる人達に広く使って頂いています。
鋏で言えば「紙きりバサミ」ですね。
そうなりたいですね。

そんなこんなで、今回は終わりです。
またのご来店お待ちしてます。

小銀杏でした。

ハンケチ

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