三枝さんとの出遭いについては、1994年の原宿、ラフォーレミュージアムエスパスで開催された「かごめドリーム」展で撒いた“寺門新聞”に書いた記事が生々しく状況を伝えているので、以下に全文をそのまま引っ張ります。

 京都、西陣で白虎社の公演を見て感動した数日後、急にAT(妻です)が、光琳社に電話してみなよと言うので、番号を調べて電話をしてみた。企画の担当の三枝さんという、柔らかい声の男が出てきて、「そろそろ連絡があるころだと思っていました」とさりげなく言ってのける。ギョ! これは何もかもうまくいきそうだ、と、僕はこれから始まる愉しい作業時間を直感した。

 そしてその通り、三枝氏との作業は、とても愉しく、あまりにスムーズだった。それはもう本当にあらかじめ約束してあったとしか思えない的確さだった。けれど、そのころはもう僕の日常はそんなことの連続だったので、特に気を留めるでもなく、あれよこれよという間に、「かごめドリーム」という本が仕上がっていったのです。

 本の入稿が終わるころ、うちには初めての子供が生まれた。彼女と、「かごめドリーム」はほとんどシンクロして胎内生活してたことになる。三枝氏は出産祝いと言って、ドリームキャッチャーという素敵にプリティな、アメリカインディアンの呪具をくれた。娘はよくドリームキャッチャー(くもの巣に似ている)に頭をつっこんで眠った。

 さて、驚くべきことに、本が刷り上るやいなや、三枝氏は、結婚退社してしまい、今はおそらく、モロッコか、そのあたりを新妻とともにさすらっているはずだ。旅人に幸多からんことを祈ります。

 という具合。で、その後、長い旅を終えた三枝さんは京都に舞い戻ると、光琳社社員時代の名作「空の名前」の続編、「宙ノ名前」「色々な色」や、万葉集をポップソングに見たてたリミックスヴィジュアルブック「LOVE SONGS」のシリーズなどをまたたくうちに世に問うたかと思うと、また旅立っていく。そして、奇しくも光琳社が倒産してしまい「かごめドリーム」が幻の本となってしまった頃、天使の絵、366枚を動員して「天使のカレンダー」を仕上げ、今のところまだ旅立ってなくて、山ほどある企画を料理中らしい。

 三枝さんの印象を一言で表すなら、「ゆたか」、という言葉だろうか。体格もまあ、ゆたか、なのだが、(あ、それから耳たぶもゆたか)、なんといっても発想、知識がゆたか、そして気持ちがゆたかである。日々、ああだこうだとせわしく動く僕など恥ずかしくなるくらい、いつもゆったりと、1000年先あたりを眺めつつ、1500年くらい過去を振り返りつつ、そろそろですかな、などと企画書を毛筆でしたためていそうなお方だ。こんな僕とよくつきあってくれるなぁ、と思うことしばしばだが、僕の突飛な妄想にも親切・適切な剪定を入れてくれるので、何か思い付くと、とりあえず三枝さんに聞いてもらうことにしている。そんな中から、いくつか、今も僕と三枝さんとで企画が進行中。まだ、いつ、どんな形で世に問うことになるかはわからないが、どうぞ期待していてください。

 それから、とうとう、“てらぴかのえんがわ”の中に三枝さんの茶室も建ててしまいました。これからしばらくは、より身近に、三枝さんのゆたかさに皆さんと一緒に触れられるので、楽しみです。


 三枝さんとの最初の本、「かごめドリーム」。コンピューターで描いた絵を集めた「ツル」の巻とナマの絵を集めた「カメ」の巻の2巻本。どちらにも、僕が実際に見た夢の物語が10編ずつ収録されています。  装丁があの祖父江慎さん。ポートレイト撮影があの沼田元気さんという豪華スタッフ。光琳社倒産のためもはや幻本ですが、どこかで見付けたら即、ゲットぢゃぞ。

 
 三枝さんとの最新コラボレーション、「天使のカレンダー」
僕の描いた366の天使画それぞれに、三枝さんがキャラクターを書いた366日の天使カレンダー。
読者から次々と寄せられるこの本にまつわる「小さな奇跡」の数々は、この本を不思議な柔らかな光で包み始めています。
絶賛発売中。リトル・モア刊。1500円+税。

*奴凧 top
*contents