▼ 日野晃さんの『Real Contact2011』神戸公演を観終えて ▼
日野晃さん構成・演出・振り付け・出演の『Real Contact2011』の神戸公演を2日連続で見せて頂いた。日野さんのことだから先月の吉祥寺公演初日に観せて頂いたモノから進化しているとは想っていたが、こんなに違うとは! 更に神戸の2つの(僕が見た2つ。実際には3つ)公演がまるで違うモノになっていたので驚愕した。楽日のモノはとてつもなかった。ラストのラストでぶちのめされた。完全にアタマはフラッシュアウトし真っ白な闇が爆発していた。終演後、席から立ち上がれぬまま口をあんぐりあけて呆けている僕のところまでわざわざやってきて「どうじゃっ!」と笑む日野さんの目は完全にいたずらっ子の大将の目になって勝ち誇っていた。今回は二晩とも打ち上げの酒宴にも混ぜて頂き、日野さん御自身、そして公演メンバーの俳優・平岡マクベス秀幸さん、ダンサーの山田勇気さん(彼とは神戸226事件の後で朝まで語り合った)、高原伸子さん(彼女は神戸226事件に飛び入りでアヴェマリアを踊ってくれた)、小口美緒さんたちともゆっくり話すことが出来、日野さんが言われる「Real Contact」について、すこしわかった。
つまりは、舞台の上だけでは済まないのだ。
こうして飲んで食べて、話していても、ずっと「Real Contact」だ。
生きている限り、Contactが終わることが無い。
舞台の上でスポットライトを浴びるから魅力が出る、というわけにはいかない。自分が自分で光らなくては魅力など出ないということが、残酷なまでにはっきりと見えてしまう実験台…それが日野さんのしかける舞台なのだ。まるで顕微鏡に載せられ凹面鏡の集める光を差し込まれるプレパラートの上に立つような。
要するに「生きている状態(それは「生き方」などではなく、ただ生きている瞬間瞬間の状態だ)の質」が問われ続けているのだ。
それが見え出した時に、僕が22歳でセツ・モードセミナーに入学した初日に主宰の長沢節先生が僕達に話してくれた言葉を思い出した。それは概ねこんな内容だった。
「みんなの中には、ずっと絵を描き続けていく人もいるだろうし、絵を描かなくなる人もいるだろう。けれども、今日からは生活の真ん中に<美>をすえて生きて行くことになる。それができるかどうか、それだけが大事なことだよ。」
人は一人では光を発せないし、美しくなれない。それには他者とのリアルなコンタクトが必須だ。他者とまみえて、集団即興の一瞬一瞬の連続の中で、互い互いに光って、この世に美を成して行く… そのモデルが日野晃構成・演出・振り付け・出演の『Real Contact2011』なのだった。作品などではない。