▼ “あまうり天女の宴“~切なく愉快な音の方舟(2)宴の中 ▼
オープニングアクトは、この宴の音響音像をデザインされる上原キコウさん率いる、沖縄エクスペリメンタルオーケストラ。舞台では大きな風鈴?(チューブラベル)を2台の扇風機が風で奏で始める。笑。メンバーはラキタさん、水の入ったワイングラスの縁をマイクの前で一心不乱に擦って超音波めいた音を発しつづける。後からもう一人の音響スタッフのドンさんも登場、かたちの違うグラスを擦り始める。グラス音波の二重奏+扇風機の奏でる巨大風鈴。愉快愉快! 僕は心の底で大笑いして聴いていたが、お客さんは皆神妙な面持ちで耳を立てて聴感覚を研ぎ澄ませている。25分!の演奏が終了した頃には皆、次元移動を完了(笑)。キコウさん曰く、最初に僕の天使の絵達を見て、すぐにこのオーケストラを思いつかれたそうだ。「これは寺門さんの絵から聴こえた音なんです」
僕はびっくりした。なぜなら、それは本当に僕が日々絵を描いている等々力の画室に響いている音だからだ。画室の窓ぎわの天井から随分前に姫路出身の若い友人から贈られた明珍火箸の風鈴が吊るされていて、風の吹くたびなんともいえぬ宇宙的な響を画室に添えてくれている。また、グラスを擦って聴こえてくる超音波めいた響は、真夜中に絵を描きながら僕の耳奥に鳴って来る音にそっくりなのだ。どうしてキコウさんはそれを知っているのだろう? 「絵からその音が鳴ってるのを聴いたんです」・・・上原キコウ=畏るべし音響の鬼才である。
その後、つづけて三枝氏と僕のトーク。最初みんな耳が研ぎ澄まされすぎてるようで、しーんとして緊張感があったが、三枝さんのやわらかな言霊と僕の間の抜けた応答で徐々にそれはほどけていった。三枝さんとの出会いや、共作のエピソードなどを開陳しながら、その時点では気付いていなかった「沖縄」というファクターが実に当初から強く二人を結び付けていたことに気付かされる。ああ、やっぱり今回から、今日からなにか始まるんだなあ、など思う。途中からはさちほさんにも参加していただき、今回の縁についてお話しいただいた。さちほさんは町田康さんと親しく、先の6月に町田さん宅にたくさん飾っていただいている僕の絵を見てくださっていたそうで、沖縄に帰るとすぐに今回の共演の打診が三枝さんからあったとのこと。まえぶれ。前触れ。大学などではよくしゃべっている、「絵」は「えっ」である、という話をすると、沖縄では「えっ」という言葉を盛んに、あらゆるシチュエーションで使うのだという。やはり沖縄は「絵」に満ちているのだ、という結論を得てトークを終えた。
10分間の休憩の間に僕は急いで作業着に着替え。これは10数年来、ライヴペインティングの際に着ている衣装で、すっかり絵の具まみれだ。着替え終えると、いよいよ、観音楽が始まった。出出しの音に耳を澄ませ、僕は舞台でうずくまる・・・さてここからが肝心のライヴペインティングなのだが、実はすっかり記憶が途絶えている。さいわい、描き進める途中で何度かデジカメのシャッターを押したので、順を追って写真を掲示します。
憶えているのは、最初の2曲くらい、とても切ない、悲しい感情がかたまりとなって飛び込んできたこと。さちほさんがライアを置いて「ハレルヤ」を歌い始めたら、人、女性のフォルムが出たこと。
それは踊っているような姿なのだが、ふっと気付くと舞台で女の人が本当にフラダンスしていた。
それからこれは不思議なことだけれど、描き始めからずっと僕が絵を進めるたびに「をを~」とか「すごいすごい」とかの声援の重なりが音楽の向こうに聞こえて、何度も振り返ったがそれは見えないモノからの声のようであった。うがいをしながらしゃべるようなコロコロとした、しゃがれた甲高い明るい声たちだった。
そんなこんなで、音楽が止んだ時にはこんな絵になっていた。
そして出演の皆さんと、仕掛け人である三枝さんと記念写真。左から、キコウさん、三枝さん、僕、さちほさん、ラキタさん、シカボンさん。
宴は愉しくも切なく、切なくも愉快で、あっという間に終わってしまった。外に出ると、まだ真半分の月が出ていた。こんなに愉しくても、この世のことは全体の半分、だよ、と半月が言っていた。