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2008年05月22日

▼ 日野晃氏をデッサン ▼

日野晃氏デッサン日野晃氏CD
21日。正午に2分ほど遅れてギャルリ・ムスタシュに到着すると既に、日野晃御夫妻が見えていた。お目にかかるのはこれが3度目。この春先、友人の作家・押切伸一さんが著書を送ってくださった。『ウィリアム・フォーサイス、武道家・日野晃に出会う』。ぞくぞくしながら一気に拝読、とてもスリリングな内容だった。全くタイトルの通りコンテンポラリーダンス界の巨匠フォーサイスが、縁あって、日本の武道家・日野晃を招き、出会う、その様子を押切さんが記録した出会いの本だ。日本人の意識の最も普遍的な部分が、ヨーロッパの最先端の意識と出会う出会い頭のドキュメント。言葉によって記されるが、起こっている出会いは体と体のことであり、記述は格闘技の実況中継の様。ダンスや武道や、体のことには全く不案内な僕だが、この本で起こっていること、特に随所に差し挟まれる日野氏の言葉(大阪弁)は、絵を描くことをはじめ僕が日々過ごす様々な局面に照らし合わせることが出来、ヒントと同時に質問も溢れて来る。興奮してそんな感想を伝えると押切さんは早速、日野さんを囲む食事会を設定してくれた。それが4月19日、一度目に日野さんにお会いした夜。場所は根津のアノマ、デザイナーの大久保裕文さんも一緒だった。ところが、実は僕はずっと以前に日野さんと出会っていたのだ、否、それは出会ったのではなくただただこちらが目撃していただけなのだが…30年近く前、大学生だった僕は当時関係していた劇団の先輩達(その一人は現在、楽市楽座主宰の長山現氏だ)に薦められて松本雄吉主宰の日本維新派の稀有壮大な公演を観ていたが、突如大阪の街外れに立ち上がった巨大やぐらの上で物凄い音を叩き出しつづけていたドラマーを「怪物だ…」と嘆息して眺めていた。その時は晃でなく日野明と名前を覚えたはずだ。お会いしてみると間違いなく同一人物であった。僕は知らなかったがその後音楽から、武道の研究へと集中していかれたそうだ。その夜は余りに愉しく、店を3軒はしごし、気付くと夜が明けていた。日野さんと一緒に居ると、僕が絵を始める前の前…もう何がなんだかわからない若くめちゃくちゃで赤恥ずかしい、思い出したくないような時間…断絶し、封印してしまった時間の匂いや気配や温度、湿度を思い出すようだった。さらに、劇団・山の手事情社という共通項も浮上した。そればかりか、驚くべきことに、僕が今、絵を描いて日々を過ごしていることの直接の基点にさえ、日野さんとの縁がはたらいている事が判明した。薄明るくなったのは店の外だけでなく、僕自身であるような心地がした。またお会いしたいなと思ったが、その機会はすぐに日野さん御自身がかなえてくれた。大阪・心斎橋のギャルリ・ムスタシュで開催中の展覧会を訪ねてくださったのだ。5月7日、二度目にお会いした際も昼から延々夕方まで話し込んでしまった。日野さんを描きたいと思った。今までに描けなかったことが描けそうな気がする。それは僕自身の絵を描く前の前のあの悶々、稀有壮大な憧れや絶望や希望の総体を描くことにはならないだろうか…。そして今日、日野さんをデッサンさせていただいた。ううむ~絵になるなぁ~これまでに描いたことがない線で出来ている顔。小学生時代に戦国武将など武人の肖像を模写していた時のことを思い出した。単純で鋭い線で描写された武将の顔…それは当時の絵師の独特の描法なのかと思っていたが、いや、そうでなく実際にそんな線で出来た顔があった、ということを日野さんの顔で知った。ううむ、楽しみだ楽しみだ楽しみだ。日野さんは武道へ進みドラムを封印されたそうだが、この春先に「決着をつけるために」ドラムソロライブをされた。無念なことに僕はそこに立ち会えなかったのだが、今日、そのライブCDを持って来てくださった。まだ聴いていないが外見だけでもかなり来る。出来れば初聴しながら大画面に筆走らせたい。
http://www.hino-budo.com/index.html
http://www4.diary.ne.jp/user/454883/

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