2∞∞5年2月4日、金曜、薄晴。
年末来ムネを痛めてきたアトリエの移転問題であるが、お正月を経て、なんとか次の絵の描き場所を定め、今日は引越しの日取りまで決定してしまった。もう後へは戻れない。
DARK SPLASHを終えて以降、なんだか大きな強い力で背中をぐいぐい押されつづけているように状況が進んでしまう。もうキモを据えてリュウの背に飛び乗ろう。詳細についてはもっと時空が落着いてきてからお知らせします。
慌ただしいスケジュールの隙を見て、昨日3日は長田神社へ古式追儺(ついな)式を観に出かけてきました。鬼が見たくて。節分の鬼払いの儀式なのだが、この長田神社の鬼は神の使いの善い鬼だそうだ。鬼たちが松明の炎で穢れを払ってくれるとのこと。
最初にびっくりするほど体格のよい鬼(一番太郎鬼)が現れ、相撲取りのシコを踏むような振りの踊り方で拝殿の前に広く設けられた舞台を踊り清めていく。古くは「鬼」と書いて「シコ」と訓んだらしいが、相撲のシコと関係あるのかな?
この一番太郎鬼が納得するまで、3周も踊り回り、かるく一時間が経ってしまった。観客からはブーイング。しかし鬼は神事をしているのであって、ショーをしてるわけではないので仕方ないんぢゃないのかな。
思いっきり待たされてようやく、赤鬼やら青鬼やら5匹の鬼が出て来て、おんなじ振りの踊りとシコ。これがまた2周目になりさすがに僕も帰りたくなり帰途に。
長い。寒い。詳細は神社のHPここから。
帰り道の北野坂を上っていると傍らのバーかなにかの重厚な木の扉がさっと少し開きその隙間から僕の足元めがけてぱらぱらと大豆が飛んで来て、ぴしゃっと扉は閉まる。ひゃっ。
なぜ「鬼は外 福は内」なのだろう?外と内は反対語だが、それでは鬼と福ははたして反対語なのだろうか?「鬼は外 神は内」とか「災いは外 福は内」とか「貧は外 福は内」とかでないのはなぜだろう?
お多福の対なら鬼ではなくてヒョットコ(火男)だが。きっとそういうことではないのだろうな。鬼が福をもたらしてくれることは知っているのだ。その福だけは欲しくて、鬼とはかかわりたくない。豆くらいはやるからさっさと去ってくれ、という気持なのでないだろうか?
天川の弁財天社は鬼の子孫の家だそうで、「福は内 鬼は内」だそうだ。我が家でも、今年は家族全員で鬼の面をかむり、「鬼は内 鬼は内」とおおいにはしゃぎまわり好きなだけ豆を食べた。
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