2∽4年6月16日、水曜、梅雨なのに快晴がつづく。熱い日差しに腕や鼻が焼ける。
午前中はセンセ。午後からアトリエでお絵描きや種種作業。
先日アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督作品『21g』を観た。雑誌などではあんまり評価が高くなかったが僕はおおいに感じ入った。
噂のとおり、ショーン・ペン、ナオミ・ワッツ、ベニチオ・デル・トロの演技はそれぞれ凄くて、さらにシャルロット・ゲンズブール他傍役の人たちも鮮烈だった。とりわけ、ベニチオ・デル・トロはとんでもない存在感で、その目の輝きの変化を眺めているだけでも観に行った価値があった。
それぞれの役者の演技の素晴らしさだけでなく、映画の作りそのものがかなり異様で、今までに体験したことが無かった奇妙な映画体験でもあった。
関わるはずもない3組の人人の人生がひとつの交通事故によって交わってしまう。映画は、その事故を中心に、事故へ向かう時間、事故以後の時間が細かい断片に切り刻まれて、ばらまかれている。
映画の冒頭から時間軸でいうとラストの事件のカットが差し挟まれる。観ている僕は常にちらりと知らされた未来を待つような奇妙な感覚のまま、こと、の全容に次第に近づいていく。
まだ10代の頃に読んだカート・ヴォネガット・ジュニアの「猫のゆりかご」という小説にたしか、この世界の主人公は各個人ではなくってチームである、チームはあるテーマのもとに存在する、というようなことが書いてあって、はっとさせられたことを思い出した。
たとえ同じチームのメンバーだとしても出会うまではお互いそれを知らない。出遭う以前のそれぞれの人生があり、ある時点から、テーマが浮上してきて、出会いが起こり、チームが意識され始める。
映画『21g』で体験する不思議な時間の感覚は、僕に変な緊張を強いつづけたが、それは誰もが自分では思ってもみなかったチームの一員である可能性に対する不安、を呼び覚ますからかもしれない。
初めと終わりに2回飛ぶ鳥の群れの青いカットと、グスターボ・サンタオラヤの苦いギター〜哀しいバンドネオンの音楽も鮮烈。サントラ盤CDも入手した。
|