2003年6月25日、水曜、やや湿気が少なく晴れ。
なんとなくぽんやりとしているうちに日が過ぎて行く。展覧会もちかづいてくる。
次回展“DREAMDREAM”についての詳細情報セットしてもらいましたので、ご覧になってください。今回、DMの枚数がそれほどないのと、出来るだけ新しい方に絵を見ていただきたく、散布用に枚数を確保するため、従来のようにたくさんは郵送できません。ここにご参集の皆様、どうぞクチコミ、メールなどで情報浸透にご協力ください。
今回は、“てらぴかでっさんさろん”あります!! まだ経験されてない方、何度も描かれてもはや中毒と言う方も、どうぞご参加ください。予約日時指定付きでっさんチケットは会期初日(7・17)〜会場受付にて販売します。壱萬円+税。
ふむ、明日には本『DREAMDREAM』の色校正紙が届くはず。たのしみたのしみ。
楽市楽座の楽日に、とうとう雨が降りました。あんなに立派な野外劇場を建てながらその舞台の真上をまあるくくりぬいて雨が降るのを虎視眈々と待ち迎えてる、なんていう劇団も珍しい。そうして楽日にちゃんと祝雨を得るなんていう芸当はなかなかやろうと思ってできるものでない。劇団の「徳」を感じました。
開幕から雨に濡れ身体を湿らし、次第に激しくなる雨に打たれながらどんどん劇も激していき、それぞれのカラダから青白い光を放つ役者さんたちは「雨優」とでも呼べばよいのでしょうか? この人達ははるかかなたの時から延々と、雨に打たれ歌い踊り語り演じ、してきているようなそんな安心感(?)を感じました。
台本も良く出来ているのでしょうが、結局筋書きがどうなっていたのかと後になると判らず、ただそれは「劇」だった。夢に似た。ホラーコメディと謳っていても、ホラー映画のように怖いわけではないのですが、僕には何箇所か、本当に怖いところがありました。
一つ目は、ごく冒頭で「赤ちゃん」について語り合う夫婦者の男の方が赤ちゃんの印象を「文鳥の雛みたいやった」といい、女が急に男に抱きついて「なんだか怖い」と言う刹那。これがなんで怖いのかわからないのに僕は凄く怖くなった。
二つ目は、実際の役者が通らないのに扉がばたんばたんと開閉し、実際の役者の中にそこに人がいたとする者と、いなかったとする者に分れるところ。これなどは手法的にはシンプルなのに怖い。それはこの劇場が立っている場所そのものが僕にはなんか怖い場所に感じられるから。
三つ目はヨウコという少女が自死するところ。これは科白と演技の良さが共感を呼び感情移入して見るからの怖さ。
四つ目というか、これは座長=長山現氏=役者セラビ・ボーズ演じるところのエンドンという存在が途中からどんどん存在感を増していく、その怖さ。エンドンだけは本当にこの場所にエンエン存在するのだと思った。彼が劇を生んでいるのだ、まさに。
それからラストの鵺のやってくるシーン、これはかなり形而上学的な怖さというか、見えてるモノそれぞれはべつに怖くない、むしろ作り物だと明確に判っているのに怖い、という夢の中で起こる怖さに近い。主人公の少年ミッキーの役の造形が明確なので、このおかしなオブジェの乱入に震えつづけるミッキーの姿と、そのオブジェのギャップが僕のなにかを分裂させて、なにかを繋ぐ、んだと思う。
物凄く不思議な幕切れだ。そこであっけなく劇が終わってしまうので、僕は逆に劇の中、夢の中に取り残されてしまう。夢から醒めるきっかけを失ってしまう。しばらくトリツカレタママがつづきそう。僕の絵に戻れるのだろうか?
おやすみなさい。2003年6月23日、月曜。楽市楽座開演前より雨、現在に至る。
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