Today's Terapika寺門孝之です。

Back Number 20030123

 

 2003年1月23日、木曜、朝は小雨のち晴れ間、夜の今、小雨が飛び散りつつも空に★。日に何度か、ああ、気持ちがよい、と清清しく感じた今日の空模様でした。

 さて、最近ずっと描きつづけている「闇の妹」シリーズにはよく大きな木の切り株が登場して、そこには細かく細かく年輪を描き込んでいます。これにはほんとに長い時間がかかり、また集中力の持続が必要で大変なのですが、闇の妹が登場する前の儀式のように、どうしても省くことのできないプロセスになっています。

 この年輪を描いている際、年輪ですから細い線を幹の輪郭に沿って順番に外から内へ書き進めていきます。当然、描き始めてずっと円を描いて戻ってきた線は描き始めの線とつながって「輪」になっていきます。これを繰り返していくうちに、なぜだかいつも、帰ってきた線がつながるはずの描き始め地点が無くなっていて、「輪」であるはずの年輪が「渦」になってしまうのです。どうしてだかわかりませんが、毎回必ず、闇の中の切り株の年輪は輪から渦になって切り株の中心部めがけて進んでいきます。

 それは絵を描いていくうえで起こるささやかな魔法で、出来上がった絵を見てそれに気付かれる人はいないと思いますが、描いている僕は、あ、今日も魔法が起こった、と愉しい気分になると同時に、自分の虚ろさに気付かされてうっすらと寒くなるのです。

 いままでごくあたりまえに繋がってきた感情や人との繋がりが、ふっと、消えて無くなる。ごく日常的に親しくしていた人との繋がりが、ふっととだえてしまったような気分になる。毎日持ち歩いていた鍵だとか手帳とか、なにかがふっと無くなる。僕にはときおりそういう盲点のようなスポットがあって、それを思うとココロが寒くなります。

 僕の「闇の妹」シリーズが展開していくあの「闇」は、もしかすると僕がふっと失った、無くしたモノや人やココロとか感情とか、そういうものが吹き溜まってぢいっと静かに発光している、そんな闇なんじゃないかな、と思ったりもします。

 繋がりをなくして「輪」になれず「渦」になってしまった年輪をそれでも愉しく静かに切り株の中心へ向けて線を進めていくうちに、あれ? ふっと、進めていく線の先に繋がる線の尻尾が突然現われることがあります。どうしてか? 僕にはまったくわかりません。けれどそこからまた年輪は「輪」に戻ります。

 僕の日常はつづき、これまで親しかった人と次に会ったときも、なにごともなかったかのように愉しく会話をします。全ては絵を描くプロセスの中で起こるささやかな魔法で、そこにはぱっくりとなにかが裂けて開いている、のかな?

 今日も切り株に線を引きながら、こんな妄想にふけってしまいました。

 ではまた。

 寺門孝之

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