2002年9月末日、月曜、晴レ。日中ずっと透明な青空にメロンの切り身のような上弦の月。
このところずっと、ココロがムネがタマシイがずっとドキドキしてしまっていてどうにもとまりません。
展覧会が始まって間もない頃、いつも展覧会を見に来てくれる、けれどそんなに話したことはない人(コードネーム=MR.38)からあるおまつりの話を伺いました。それは、こんな話。
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22体の龍神さんが集まっている聖地がダムの建設のためにまもなく水没します。
その場所には神社があったのですが、既にダムに沈まない場所へ神社は移りました。
その境内の跡地を発掘調査したところ、何層も各時代の遺跡が発見され、最も古い1万年くらい前の層からは環状列石(ストーンサークル)まで出てきちゃいました。まさしくそこははるか過去からの大聖地だったのです。
しかし、すでにダムの完成は間近でそれを保存することはならず、まもなく水の底に沈むそうです。
で、その場所にずっといらした神様を鎮魂するおまつりというのを見てきました。全国の聖地から集められた水がその場所に流されました。そこは「世界の水のはじまり」の場所だったそうです。
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ふう〜む…僕のココロの深〜いところでなにかが明滅しはじめました。
いつの頃からか僕のココロはずっと「ダムの底に沈む場所」というモティフにとり付かれていて、そのことは、Bunkamuraから1998年に出版されている『想い出の風景』という本に入っている「大きなダムと小さなプロペラ」という文章で告白したり、1991年にアスク講談社から出版されたVTR作品『video
drug1/DEEP(水道の国)』のメインモティフとなったりし、今でもふと自分のココロの底を覗きこんで見るとそこに、じんわりとダムの底に沈んだ村の光景が育ちつづけているのです。
な、の、で、MR.38から聞いたその話は単に「龍」に関してのエピソードにとどまらず、もっともっと深〜いとことから僕に「おい! おい!」と呼びかけられているような気がしました。
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そのダムが計画されたのは1960年、前年の伊勢湾台風で甚大な被害を被ったその場所で以後そうした災害を防止するためにということでダム建設の計画が持ち上がり、ずーっと作ってきて、ようやく今年完成するのです。この秋にはその場所は立ち入り禁止になって、水が入れられると思います。
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そのときはそれ以上詳しい話は聞かずに別れたのですが、以降数日、どうしてもその場所のことがココロを離れませんでした。
僕とほぼ年零をともにするダム計画。僕が生まれた頃にそのダムが芽生え、今、完成する。そして大切な場所がその底に沈む。たとえもう既にその場所へ入れなくても、僕はその場所へ行くべきぢゃないだろうか? そのダムを見るべきぢゃないだろうか? そんな思いを押さえられなくなり、僕はMR.38にメールしあらためて詳しい場所などを訊ねたのです。
彼は親切に知っていることを教えてくれ、さらに詳細はこのHPを見るのがいいでしょうと、いくつかのURLを貼っていてくれました。そして僕は、長屋和哉さんという方のこんな言葉たちに出遭ったのでした。
(ぜひ皆さんもここから飛んで彼の言葉を読んでみてください。)
「聖地の終焉〜われらの時代」
「リアルとしての神話〜祈りの脈動」
「水底の神へ〜鎮魂祭を終えて」
僕はこれらの言葉を読み、また、聖地の跡地(?)の画像を見て、びっくりしてしまいました。僕に昨年来訪れつづけている「絵」の素は「この場所」から発信されていたに違いない、そんな風に感じました。闇の妹も、彼女が腰掛けている巨木の切り株も、その場所に存在して、あったのではないか?
我慢し切れなくなって僕は、長屋和哉さんという僕にとっては未知の方にメールを送り簡単に僕の気持ちを告げました。するとさっそく長屋さんから返信がありました。彼は僕の絵を知っていてくれました。そして、僕は本当に短い文章で思いの一端を書いただけだったのに、まるで旧知の友人ように、その場所へと誘ってくれました。
これらはたった今進行中のことなので、これからどうなっていくのか、未知で、わくわくします。うまくいけば、近い未来、僕は、長屋和哉さんという人と、その場所で会うことになりましょう。僕のドラゴンへの道は、既に、新しい、懐かしい方角へと向かっているようなのでした。
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さてと、大阪展“CINDERELLA,
dragon”は、そんな出遭いも創造しつつ、あら、もう今週でおしまい! まだご覧になっていない方、どうでしょう、ぜひ、いらしてみてください! ラスト3デイズの夕刻は会場に僕います。
ではまた!
寺門孝之
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