Today's Terapika寺門孝之です。

Back Number 20020920

 

 2002年9月20日、金曜、晴れ。

 月は見えていますか?さっき自宅へ戻る途上からは雲の間に見え隠れする眠そうな龍の目玉のような月が見えていたのですが、今、外に出て空を見上げると、雲が一面に広がってしまってその背後が明るいところが月だろうかな?という状態の新神戸の空です。15夜は明日。空はどんな具合でしょう。

 昨日の13夜の月はようく見えました。生田の森から。僕は乱視なので昨日くらいで充分満月に見えました。アトリエから坂を下っていくとすぐの生田神社で昨夕、薪能が開催され、行ってきました。

 大阪城の時にも思ったのですが、能のファン、ってこんなにもたくさんいたのか!と、 今回もびっくり。いつも通る境内にびっしりと人々が集まり、ぢーっと、能舞台の上で起こっているコトをみんなで見詰めていました。

 舞台の背景に白萩がうすく光り、その上にHOTEL AMALIEのHOの字のネオンが消えてTEL AMALIEの発光文字看板。見上げれば飛行機の点滅光。風に揺れる楠の木の葉の3D。コオロギのサウンド、と、すぐ近くの音楽スタジオから漏れる重低音。そんな中での笛、太鼓、鼓、地謡の響きあいは、たしかに夢幻に誘われます。

 能を見ているときまって、色色な事を考えていて(たいていつまらないささいなことごと)ふっと、我に返ると舞台の上の様子が先と変わっていて、あれ?僕いまなに考えてたんだっけ?というような気分になります。なので、舞台の内容はいつも記憶に残らず、なんだかっそのあと見上げた空だとか、舞台のうしろの光景とか、風だとか鳥だとか、そんな能以外のことばかりいやに鮮明に思い出されます。自ずと、感覚が研ぎ澄まされるのでしょうか? そこが能の面白いところ、僕には。

 昨日の演目は『砧』でした。狂言は『棒縛』。狂言は内容をよく覚えられます。能と狂言では、違うハタラキを使って体験するのでしょうか?

 今日は3時〜6時、画廊へ行きました。今回、龍の絵も出していて、またこのえんがわでも龍のことを書いてるので、自然、画廊へいらしたお客さんとも龍の話題になることが多いです。それにしても、こんなにたくさんの方々が龍を好きだったり、龍に特別の気持ちを抱いていたり、最近、龍がキテルと感じていたり、しているとは!

 色々な方から伺う龍の話はそれぞれ面白く、そしてそれが「今」であることが興味深い。確かに、「龍」キテル!のかもしれません。

 今日、お客さんと話していて思ったのは、「龍」に思いをはせて話していると、「流れ」という感情が意識されてくる、ということ。各人が生きてきたその時間の流れの折々に龍がモティフとしてあって、ずうっとそれが表に出たり潜伏したりしながら、つづいている…流れが止まっていない…そんな話になりがちです。

 そこがかつて「天使」がよく話題にされたときと少し様子が違って、少しまたピン!と来たりしました。僕のココロが思う龍は、つかまえた!と思うとスルリと姿が消えて、なかなか「絵」になりません。ムツカシイです。

 こないだ始まったばかりと思ってた“CINDERELLA,dragon”も半分終わってしまい、まだご覧になってない方方、時の流れが最近速いです。ぜひ終わってしまうまでに見にいらしてください。明日も3時〜6時、会場へいっています。

 寺門孝之

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