Today's Terapika寺門孝之です。

Back Number 20010217

 

 2001年2月17日、土曜、晴れ。

 11朝走目。朝走のおかげで大分体調がワリマシ(わりとまし)になってきたので遠出してきました。滋賀県立美術館に黒田清輝展を観に。

 いや黒田清輝にぜんぜん興味なかったのですが、昨日のグレー村展で日本の初期洋行洋画家達の油彩画と、西洋人の油彩画があんまり違ってたので逆に関心出ちゃって、そのご本家・黒田清輝はいったい帰国後どんなん描いとったのか、確かめたくなってしまったのでした。

 で、昨日とまったくおんなじ感想を持ちました。気の小さい人だったのかなあ? なんか、キモ、の入ってない絵達・・・。でも銅像とかも展示されていて偉い先生だったんだろうな。

 でも、1点、というか3連作なんですが、びっくりさせられる作品がありました。それは「智・感・情」という裸婦像3連発で、他の作品とは全く違うアプローチ。

 まず、バックが金泥でフラットに塗り込められていて平坦。女性のポーズは不自然で仏像のような象徴的なポーズ。で、太い輪郭線で裸体は囲まれている。このどれもが彼の他の作品とは全く対極的な方法論です。他のは全部、当時の西洋画家の油彩の真似ですが、この作品には工夫があった。オリジナリティのようなものが多少感じられました。この作品はパリの博覧会に出展されて銀賞をとったそうです。

 ではなぜその方法をその後おっかけなかったんでしょう?

 おそらく日本ではアタリマエのことをしてるだけに見えて、受けなかったんぢゃないでしょうか。日本画から方法をとってきて油彩におきかえたようなどろどろしさが、洋行がえりの画伯のイメージにそぐわなかったんぢゃないでしょうか。でも、パリにパリ風をまねたちゅうとはんぱな洋画を出してもサマにならないことは十二分に承知していたので、対ヨーロッパ戦略としては日本画のノウハウを導入するより仕方なかったんぢゃないのでしょうか?

 でも、日本画を支える最も大切な要素である「線」が、悪い意味での和洋折衷によってベツモノにされてしまっていました。日本画では初めに「線」ありき、で、白紙に「線」を切り込む、そこにカタチが、存在が掬い取られます。が、西洋のデッサンはボリュームを写し取っていくもので、基本的に「線」はありません。だって「線」はこの世に存在しませんから。

 で、黒田清輝はまさにそこんとこで、むぎゅう、と悩み、女体をボリュームでつめていき、バックに日本画の「間」を金で敷詰め、その「間」と「ボリューム」のハザカイに「線」ではなく「輪郭線」を、「引く」のではなく「残した」。ううむ、苦労してる。

 でも、こうした苦労こそが延々とつづけられるべき苦労ではなかったのでしょうか? それは後に、黒田清輝とは逆に、ヨーロッパを舞台に活躍した藤田嗣治によってアクロバティックに展開してくる問題の萌芽だったはずです。でも黒田清輝はしなかった。問題点は重々承知の上で、まずは日本に、西洋式の絵画を根付かせるためのイシヅエに徹した、ということでしょうか?

 でもな、ホントウの画家だったら、技術より前に描きたい「ゑ」があるはず。技術は技術として、画材は画材として習得につとめ、自らの「ゑ」に存分に投入したらよろしやん。

 んなことを感じつつ、常設展示室へ回ると、あらびっくり! 小倉遊亀のお部屋が! 憧れの遊亀センセの大作がぽんぽんおしげもなく飾られて。ああ、眼福・・・。やっぱこれだよなぁ。いい「ゑ」っていうのは、観ててなんの理屈も思い浮かばないもん。ただうっとり。ぽかんとロータス。ただただ「ゑ」が描きたかった、「ゑ」が遊亀さんから描き出されたかった、そんな感じ。

 日本画はええわあ、と国粋な気分になって次の部屋へ。そこには小倉さん以外の有名な日本画の大家の作品がずらり。中に僕のまたまたあこがれの小茂田青樹の本で見たことない大作があってうっとり。ぽぽんと朝顔。日本画ええわあ・・・。

 でも日本画だからいいっていうんぢゃない。「キモ」がちゃんと入ってるんやろうね。技術習得ぢゃなくって、知的作業ぢゃなくって。やはり日本人の文化的遺伝子というか、個人の個性とかを分子とすると、分母、にあたるものを導入した方が「キモ」は入りやすいだろうから、ナマハンカな油彩画よりは日本画の方に分があるのはいたしかたないか。

 僕はなんで日本画と洋画と別れてンのか、ほんとうに疑問です。絵の具は描く個人が自分にあった、あるいは描きたい絵にふさわしいものを使えばよいことで、で、何使って描いたって、日本人が描いたらそれは日本画ぢゃないでしょうか。で、その中でたまたま凄い作品が出たら、それは単なる「ゑ」として永遠行き、世界で、宇宙で通用する。とシンプルなことだと思うのですが。

 なぁどとまたあれこれ考えつつ、日本画の絵葉書をどっさり買いこみ、まだ日が高かったので三井寺のほうへ。今度は三橋節子さんの美術館を観に。そこは琵琶湖を見下ろせる小高いおやまの斜面にある小さな個人美術館。35才で亡くなった悲劇的な生涯の画家の美しい作品が静かに並んでいました。

 梅原猛センセのご本でその存在をしってはいましたが、ナマゑに接するのは初めて。すごいすごい・・・遊亀さんとはまた違うスペクトルだけれども、これもタマシイの「ゑ」。画家の生涯のエピソードに押されてしまいそうになるけれど、ぐっとこらえて、「ゑ」だけを見詰めて出てきました。

 そのあと、夕暮れドキの、長等神社と三井寺を巡って、ゴ〜ンという鐘の音に送られつつ、えっちらおっちら神戸へむかったという一日でした。

 ぢゃ、また。

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