2001年2月16日、金曜、朝晴れその後小雨雪交じり。今はあがってるけれど。
目出度く10朝走目。今朝はちょっと出発が遅れてしまって、動物たちの朝礼に間に合いませんでした。三々五々解散って感じで。
午後、急に思い立って西宮市香枦園の大谷記念美術館へ「グレー村の画家達」とかいう展覧会を観にいってみました。あんまり興味なかったのですが油彩のお勉強と思って。
最初の2部屋はグレー村に集まった西洋人たちの作品で、イギリス人、アイルランド人、アメリカ人、北欧人などの画家の絵でした。ふーん、て感じで観て、3部屋目が日本人。ありゃりゃぜ〜んぜん違うわ、ってびっくりしました。
黒田清輝とか浅井忠とかいった日本の洋画壇を築いた人達のグレー村滞在中の絵ですが、同じ場所を西洋人が描いてる絵を見たばっかりだったので、その違いがくっきり見えました。大雑把にいうなら、
●うすい、
●立体感がない、
●自信がない、
って感じでしょうか。
なにが根本的に違うのかなと思って、西洋コーナーと日本コーナーとを何度も何度もいったりきたりして見比べて、わかりました。西洋人の油絵はまず厳然と「暗」から始めて、上に少しずつ「明」を重ねていく。したがって当然ですが、画面の最も明るい部分、「光り」の部分が最も絵の具が盛り上がっていて、最も物質感が強くなるわけ。「光り」を「ブツ」で現すこと、これに日本人は根本的なところで抵抗があるのではないのかな、って思いました。
光りを平気でべちょっと脂っこく白絵の具の塊を擦り付けることへの抵抗。それが甘い分、闇も濃くならず、どうしても奥行きが現せないのです。日本画には影ないもんね。だから「印象派」に飛びついたんだなっていうのもよくわかりました。印象派も影がないから、そういう西洋伝統的な影を色に分解してしまったのが印象派だから。印象派が日本の絵の影響を被って出て来たってのもふむふむとうなづけます。
いままでただ漠然と日本の「洋画」ってのが意味不明で興味も魅力も感じなかったのですが、その原因がわかりかけてきました。僕はいま、油彩画駆け出しで、でも好きで憧れて目標にしたいっていう油彩画があるわけではありません。どちらかというと水彩の方が好きだし、日本画や浮世絵が大好きです。でも、油絵の具自体には魅力を感じます。ブツとして。このブツをなんとかうまく活かして、僕が気に入るような状態の画面が作ってみたいと思っていろいろ験しているところです。
そういう意味で日本人が油彩に接した初期のいろいろなアクションは案外とヒントになるものだなあと思いました。明日はこの流れで、滋賀へ黒田清輝展を観にいってみようかしらんと思っています。
ぢゃ、続報は明日に。
from terapika
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