2000年11月18日、土曜、爽やかに晴れ。
午前中あたふたと仕事。昼食後、画廊へ。きょうもたくさんの方にお目にかかれたのしかったです。ありがとう。今回は意外とデッサンの評判もよく、デッサン好きな僕としてはとても嬉しい。ので、今日は少し、デッサンについて。
デッサンはタブローとちがって、ようし作品を描くぞお、とかの気負いなしに、いつも思いついた時に、状況が許す限り、いわばトレーニングのようにすることなので、画用紙やデッサン帖にどんどん溜まっていきます。描いた直後は、いつも、目の前のモデルや、景色の方がずっとずっと美しく、リアルなのでめげるのですが、ずっと後になって見返すと、ときどき、お、というやつが見つかります。それをノートからはずし、裏打ちなどし、額装などすると、かなりイイ感じになってたりするのです。
そしてもちろん、ナマのモデルや風景の美しさやリアルさにはとうていかないはしないものの、その線をそこから見出し、描き付けた瞬間の、僕が居たということ、僕が描いたということの、確かさだけは、やはりリアルに刻印されているのです。観てくださる方は、何も詳しい知識がなくたって、どうも、そのことだけはストレートに感じとってくださってるようで、嬉しい。僕の、絵の具の絵のみならず、デッサン、もどんどん受け入れてもらえるといいなと思います。
ところで、僕の場合、セツで、デッサンはいわば彫刻でモノトーンの世界、水彩の色の世界とはまったく別、と叩きこまれたので、今でも、デッサンは最も上手くいけば彩色はしません。色ナシで充分成り立てば、最高!
で、ちょっと自信ないときには、パステルで色をつけます。あるいは、色、を見てしまった場合も。色でなく、線、だけが見えたら彩色なしです。ただ、最近はかなり微妙な色の筆記具がたくさん市販されてるので、線をいくつかの色を使い分けてデッサンすることもあります。今回のバリでのデッサンのように。こういう場合は、きっと、前に書いたような「二色」を基準とするデザイン的な感覚が働いてるのだと思います。
対象を目の前にしたその瞬間、どうやって描くか、を決めて挑む。で、違ったら、また次の方法で。そんな感じで線を刻んでいくのは、愉しい。結果として、そのどのあたりに商品価値を見出していくかは、また別の次元のやりとりです。
今日はデッサンについて、思いつくままに書いてみました。ではまた。
明日も3〜6時、画廊にいます。きてねん。
from terapika
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