2000年8月29日、火曜、晴れ。
目覚めると、余り良い夢見ぢゃなかったのにかかわらず、頭がすっきりしていたので、この冴えがあるうちに、しばらくは日記ぢゃなくって、僕の絵の秘密について思いついたことを書いてみようかと思います。
まずけふは、「色」について。
「ニ色」
展覧会に来てくださった方などからよく、僕の絵の特に「色」についてお褒めいただくことがあります。「きれいな色ですね」「すばらしい色彩感覚ですね」「色の魔術師!」云々(これはヒトサマがおっしゃってることで僕が自惚れてるわけぢゃないのであしからず)そしてあげくの果てには「天才!」「こんな色使いが出来るというのは、天性のものなんでしょうね!」
ご存知のように、展覧会場では何言われてもにこにこへらへらしてる僕は特にこれらの発言に対して異論を唱えたりはしないで受け流してるのですが、ココロの中には確固たる「否」「ノン」があります。というのも、僕にとって色彩感覚はあくまでも後天的なもの、いわば「努力」と「経験」によって培われたものだからです。
前にもここで書きましたとおり、僕は1985年に日本グラフィック展で大賞をいただきましたが、当時まだ僕はセツ・モードセミナーの研究科に上がったばかりの画学生でした。で、セツ名物の合評会に受賞後の作品を並べ、先生の意見を乞うわけですが、他の先生方は「さすが、いいよ」とか「やっぱりしゃれてるよ」とか誉めてくださったのですが、長沢先生があとから部屋に上ってこられて僕の絵の前につかつかと歩み寄りしばらくぢいっと睨みつけた後、こんな風におっしゃいました。「オマエの絵は前から、カタチはユニックで面白いとオレも思ってたんだ。人物のデフォルメなんかはなかなか自由でイイヨ。ただ、色はねぇ、まだ全然ダメだ。もっとみんなの絵を良く見て勉強してごらん!」
僕が、「色」について意識するようになったのはその時からなのでした。もちろん、日々絵を描きながら、絵の具と格闘しつつ「色」について学んでいったということもあるでしょうが、今思い返せば僕の場合、「絵」とはちょっとはずれたいくつかの経験の過剰な蓄積がその後の色彩感覚を豊かなものに育ててくれたような気がします。
まず、CG。
当時僕は夜はセツの画学生でしたが、日中は潟Vフカという会社でコンピューターでイラストレーションを描く仕事に就いていました。現在なら「イラストレーター」や「フォトショップ」などのペイントソフトを装備したパソコンを思い浮かべるでしょうが、15年前の当時はそんな状況は夢にも思えず、たった8色、ないしはその倍の16色でパズルを組むような絵を描いていたのでした。
しかし、その色数の圧倒的な制限は僕の創造性を逆に鼓舞したのです。僕は限られた色で画面を塗り分けながら、とても重要なポイントに注目していました。それは「色と色のぶつかり」つまり「2色が起こすハレーション」ということです。たとえば、赤の画素と青の画素が隣り合っている際、その接点に赤でも青でもない色の滲み(あるいは光りといった方がよいかも)が発生するのです。それは相手の色が変われば当然違う発色になります。なので使える色はたとえ8色でも、隣り合わせの色の選び方によってそれ以上の色彩効果を発現できることになるのです。「色と色のハレーション」! これが当時は不自由でしかなかったコンピューターによるお絵描きで僕が発見したあくまでも感覚的な色彩理論でした。
次に歌舞伎。
CGによって培われた色を単に1色ずつ認識するのではなく、色と色が並んだときに起こるハレーションによって目は色数以上の色彩体験をする、という色の見方をもって世間に広がる色彩世界を眺め渡すと、今までとはがらりと色の見え方が変わってきました。
当時僕は歌舞伎に凝り始めて、毎月歌舞伎座へ通うようになっていたのですが、歌舞伎の舞台は、色と色の「並べ」の見本帳、完成されたお手本でした。そこで使われるどんな色も隣に置かれた色と拮抗、ぶつかりあい、ハレーションを起こしているのです。ハレーションというとなんか派手なイメージですが、それは色の派手さの度合いとは関係がなくって、どんな地味目な色どうしでもそれは起こるのです。たとえば、ちょっとした色合いの違いの濃い茶色同士がぶつかりあってほのかなピンク色の気配を出していたりするのです。
舞台はけっして目の前にあるのではなく、僕など随分離れた席から舞台を眺めるわけですが、遠目に見るとなおさらに色と色がハレーションを起こし、全体に発光現象が起こっているのでした。ああ、これは偶然こうなったわけぢゃあないな、歌舞伎の美意識は完璧に色と色の並びを究めて、使いこなしているんだ、なぁるほどな!と、納得しました。だから僕の場合、歌舞伎好きといっても、内容はさっぱりわからなくて、ただ舞台に溢れる色彩を色のお手本として眺めていたのです。
そしてデザイン。
僕は今でこそ「画家」だといって絵ばかり描いて暮らしておりますが、東京時代にはこうしてコンピューターでイラストレーションを描いたり、エディトリアルや広告の世界であっぷあっぷと仕事してきましたので、場合によってはいわゆる「デザイン」という仕事も見様見真似でこなしていました。(だから今でも自分関連の印刷ブツの版下は全部自分で作りますし、スケジュールさえ許せば装丁だって自分でこつこつ仕上げることが出来ます。)
で、印刷ブツを請け負って作成する場合まず初めに確認しなければいけないのが、何色で印刷するのか、ということ。モノクロ、2色、4色、さらに多色。4色あればフルカラー印刷ということになり、写真でも絵でもいちおう元が再現可能になるのですが、当時僕が関わる印刷ブツは、予算の都合で圧倒的に「2色」刷り、というのが多かったのです。
友人の三宅純氏が当時、西麻布のライヴ・バー「ボヘミア」の音楽監督をしていて、毎月のライヴスケジュールを宣伝するパンフレットを僕が作ることになりました。名刺サイズの小さな本、2色刷り。絵と文字、全てを僕が描き、版下作成。毎月、異なる2色を選んで刷る、という仕事は、さらに僕の「2色」感覚を研ぎ澄ましてくれたのです。
仕上がりの良し悪しは、ほとんど100%、どの2色を組み合わせるかによりました。うまくいけば、絵や文字が地色とハレーションを起こし、ブツ全体が光を発するように見えるのです。僕は毎月、DICの色見本帳とくびっぴきで色と色の並びを試し、予想し、想像し、勝ちつづけたのです。
そんなこんなで、僕の「色」に関する経験値は「2色の関係」を単位として過剰に蓄積されていったのでした。奇しくも、こないだ、BASARAKAWARAの服を作ってくれている松本小銀杏君と話している際に、彼が「2色」ということについてこんなことを言いました。
「1色だと別に特定のイメージを喚起されないけれど、それが2色の組み合わせになると途端になんらかのイメージを連想してしまうので、2色はむづかしい」
という内容の発言だったと思います。つまり、ある赤、あるいはある青、その1色はニュートラルでも、その2色の組み合わせはたとえば「中華風」だったり「コリアン」だったり「フレンチ」だったり「ブリテン」だったり「アメリカン」だったり「ハワイアン」だったり「和」だったりするわけです。僕達の共通の結論は、色彩体験の基礎単位は「2色」で、「2色の組み合わせ」がイメージを限定する、っていうことでした。
よく展覧会場でされる質問に「何色が一番好きか?」というのがあるのですが、僕のコタエは決まっていて、特定のどの色が好き、ということはなくって、好きな色の組み合わせはあります、っていうこと。CG,歌舞伎、デザイン、によって得た僕なりの色使いの秘密は、色と色を並べて光らせる、ハレーションを起こすということ。僕が「光、光」とさかんに連呼するのはなにもイメージとしてのことではなくて、即物的に、実践的に、本当に色から光を見せるってことなのです。
色彩画家であり、天才デッサン家であるマティスは真っ白い紙にあの流れるような線のデッサンを引き、「どうです、線を引くことによって少しも紙の白さ、明るさが損なわれなかったでしょう? むしろ光が増したように見えませんか?」と言う。デッサンの際に紙の白、線の黒を色彩として捉えていたに違いありません。しかるべき、ここしかないという場所に線が走れば、ハレーションが起こり画面の光度は増す。それをマティスは「光の通り道を作る」と言いました。素晴らしい!
まあそんなこんなで、僕は「色」と「色」の関係にはちょっとうるさいわけです。「2色」が基本です。僕の絵のなかの、たとえ「青」1色に見える部分でも、もしなにか特定のニュアンスを感じたらようくご覧になってください。その青は、あの青と、この青の2色でできているはずです。
秘伝開示。夏のお土産。
from terapika
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