Back Number 20000513

 

 2000年5月13日、土曜、晴れ。

 10日にルンゲの「朝」についてここに書き、その後“えんがわ”の方でおうぐうさんや三枝さんとルンゲについておしゃべりしてるうちに、なんともはや、ルンゲが懐かしくなってきました。卒業論文のためにつけていたルンゲノート全5冊を過去から引きずり出してきて、拾い読みしてみたり、古いルンゲの小さな画集をめくってみたり。

 このルンゲが、何かと言うと、光! 光! 光!と、光に注目しています。晩年には(といっても30才そこそこでしたが)、絵画そのものの物体性、絵の具そのものの物質性にさえ苛立ちを覚えるようになります。絵が光そのものになれば、そんなことを願い始めます。当時にコンピューターグラフィックスやビデオアートがあれば必ずその分野で成功しただろうな、というような感性。僕はコンピューターで絵を描いている頃、ルンゲだったらどんなにこんな環境を歓んだだろう、と思ったものです。なにしろ光そのもので絵を描けるのですから。

 でもだんだん、待てよ、と思い始めました。光で描いて絵が光るのは当たり前、過去のルンゲのように、けっして光ではない物質=絵の具や支持体と格闘して、その結果、ブツである「絵」から少しでも光が射して来るなら、そっちの方がかっこいいんぢゃないだろうか? ルンゲはいいとこまで行って、でも物と光の矛盾の前に敗北して絵を切り刻んでしまったけれど、絵を光らせることってやはり究極の快楽ぢゃないかしらん、と思いは進み、僕はコンピュータールームから出て、神戸のアトリエに引越し、「絵」から「光」を発するべくまた修行を開始したのでした。神戸に戻ってからの僕が、やたら、光! 光! 光!とやかましく言い出したのには、ルンゲの大きな希望と絶望への共感があったのかもしれません、今思うとですが。

 ルンゲは絵を光らせるために、技法の研究に余念がなかったのですが、彼が最後にたどりついた「大きな朝」はグリザイユという描法で描かれています。これはまず、グレイトーンで画面を完成し、その上に透明ワニスをかけ、そこから透明な色を薄く、何階も塗り重ねていくという描き方で、それによって絵の具の物質性は最小限に押さえられ、光に最大限に接近できる、とルンゲは信じていました。僕はナマでその絵を見ていないのでなんとも言えませんが、そのことは今、僕がチャレンジしている油彩の方法に大きな示唆を与えてくれました。僕は、絵の具が物質性から光へ一足飛びに飛翔するとは思わないので、ルンゲよりはずっとリアリストです。

 で、絵の生々しい物質性と光へとジャンプしようとする意志とがないまぜになって、きしむような、悲鳴をあげるような段階があって、そこから甘く蜜のような感じにとろけて、シャンパンの発泡のように、光が湧き起こってくる、そうしたプロセス全体が画面の中でひしめいている、いわば画面のあちらこちらで、ブツとヒカリが事件を起こしあっている、そんな絵を目指しています。もしかすると僕が絵を描いてる最中、絵の中でルンゲが悲鳴を上げているかもしれません。ルンゲほどには僕はロマン派ではないな。

 そんな今日の結論でした。from terapika


「天使からのおくりもの」

凰宮天恵/著 ★ 寺門孝之/絵

大和書房 本体1100円+税


 
 
 

僕が看板・壁画など描いた店が
12月3日オープンしました。

Cafe Hahn Hof
(カフェ ハーンホフ)

神戸市中央区明石町32
tel :078−321−0415
(元町・大丸の南、フェラガモとか入ってる明海ビルの地下1階)

 
 

Days of Angels
天使のカレンダー

絵*寺門孝之 / 文*三枝克之

リトル・モア  ¥1500+税

全国書店にて10月上旬発売