2000年5月12日金曜、晴れ。
今日も“聖地”へ行ってきました。“聖地”といっても僕だけがそう思ってるだけのきわめてプライベートな“聖地”で、アトリエから10分ほどの徒歩でたどり着いてしまいます。
かつてはここにも異人館かお屋敷があったんだろうけれど、それは今は石の門だけが残されて雑草が好き放題に茂り、破材やゴミなんかが打ち捨てられています。その傍らにこれまた打ち捨てられたような傷んだ鳥居が二つ、ちいさなちいさなお社もありますが本殿らしきものはどこにもありません。背後には六甲から連なる低いけれど艶めかしい山が押し寄せていて、かろうじて破れそうなフェンスで押しとどめてあります。
山と先の空き地(荒地)の隙間にほんの小さな公園が整備されていますが、そこで遊ぶ者、訪れる者はほとんどありません。たまに近所の犬の散歩に使われています。その辺りがずっと以前から(学生時分からかなぁ)のお気に入りで、ついついふらふらと吸い寄せられるように訪れては小一時間あまりそこでぼうとするのです。
そこからは神戸市街、そしてその向こうの海が、さらに向こうの関空とかある方の岸までが見下ろせます。街からはいつも、街の音が空に響いています。街の音とは大雑把にいうと、「叩く」音です。ドンドン、ガンガン、ガシンガシン、…そんな音です。昔もそうでしたが、今日もそんな音です。僕の居る“聖地”頭上は小鳥達の声が響いています。けっこう聞き覚えのない声、見覚えのない姿の小鳥がいます。そこが街と山の境なんだと思います。
今日はウグイスの声が目立ちました。姿は見えませんでしたが。スズメバチがたくさんいて、ちょっと怖いです。大きな羽化したばかりだろう新鮮なクロアゲハが花の蜜を吸っていました。名前を知らないキレイな模様の蝶がずっと僕の近くから離れません。虻も僕の顔のすぐ前に滞空しています。虫たちを見ると、なぜか祖先を考えてしまいます。虫って、なにか僕に伝えたいようなしぐさをすることが多いのです。妄想だとは思いますが。
今日は、その公園からさらに山の中へ入ってみました。すると、もう途端にそのすぐ下が市街だなんて思えないくらい深く静かで謎めいた気配が立ちこめていました。そうか、僕が神戸が好きなのは、この山の存在が大きな要因なんだな、と思いました。アトリエの北の窓を開け放つとその山が緑の脳みそのようにもくもくしてこちらへ押し寄せて来るみたいに見えます。この部屋をアトリエに選んだのも、やはりその山の気配のせいかもしれません。山の色が最も激しく美しい季節がやってきました。毎日が愉しみです。
from terapika
「天使からのおくりもの」
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