2000年4月30日、日曜、晴れ、午後より曇り、小雨なども。
昨日から、ゴールデンウィークを利用してのお絵描き教室「てらぴかのてらこや」がスタートして、今日2日目。初めて今回参加された方々も、早くも、絵を描く集中力を会得し、のびのびと鋭い線を引っ張り出しています。ましてや、以前からのてらこや同人達は、半年以上のブランクもものともせず、ぐ〜んと上達した線をそれぞれに引いていて、びっくり!and
安堵。いやあ、うまいす。
で、何人かのてらこや生がその後画廊の方へも来てくれたので、少し話したりしたのですが、これだけ描ける人達が、学校では美術がニガテだと思いこまされて、ずっと絵を描かないできていたなんてことになってるのに、ハテナ?と思わされました。いったい義務教育期間での美術教育はどうなってるんでしょう?
そういえば、思い返すに、僕も小学校低学年での美術の評価はきわめて低かったです。と、いうか僕は絵を描くのが好きだったので評価も気にせず、描きつづけたようなのですが、親に言わせると通信簿で2だとか3だとかつけられていたよ、と言ってました。
てらこやとかやってると、もちろん芸術系の大学などへ行かれた方とか、確かに上手いのですが、子供時代に筆を折り、折らされたまま空白があって、いきなり描き始めたような方の絵の方が、時として凄い絵を描いたり、また先入観が無い分、呑み込みが速く、にょきにょき頭角を現して来たりします。積み重なった固定観念というのはホントやっかいで、取り外し難く、知らず知らずに絵から自由や美やエネルギーを奪ってしまうようです。惜しいよな〜。
だいたい、なんで子供にすぐポスターを描かせるんだろう?「防火月間」「交通事故に注意しよう」「廊下を走るな」・・・こんなテーマで絵を描かされてどうして個性など育つことが出来ましょう?火事の絵や交通事故の絵をなんで描かされなくてはいけないのでしょう?「絵を描く」とはそんなポスターのための行為では決してありません。義務教育以前の子供達はただただ、生きるために絵を描きつづけるのです。日々、一瞬一瞬、自分へ流れ込んでくる全世界とおりあいをつけるために、ただただ絵を描くのです。そんな絵をそのまま、いくつになっても描きつづけられるようになったなら、たとえひとりひとりが画家などにならなくても、世界はどれだけ豊かな絵に溢れることでしょう。
ガッコの美術のセンセ達、どうか、子供達にポスターを描かさないでください!そして、なにが「美」なのか、自信を持って教えてください!「美」はアタマで考えてわかるものぢゃありません。理屈ぢゃなく事実として、ガンとこれが「美」だと教えてください。たとえそれが普遍的な美ぢゃなくてもいいのです。「美」は時代とともに移り変わるし、人によっても感じ方は様々でしょう。でも、「絵」を描く目で見れば、どんな顔の中にも「美」はあるし、どんな風景にも「美」はあるし、子供たちのどんな「絵」にもそれは見つかるのです。あっ、ここがキレイ!とか、おお、ここんとこ美しいね〜とか、この色とこの色が並ぶとすごくいい感じだね〜とか具体的にわかるように、子供達に言いつづけて欲しいのです。「美」というものがこの世界には確かにあると教えて欲しいです。僕はセツに入って、長沢節先生がガツンとやって下さったおかげで、「美」が歴然と在ることを知ることができました。でも「美」って誰かに教わんなきゃ、在ることがわからないで済まされてしまいます。ガツンと「美」を!
そんなことを、てらこやをしながら、思ったので書いてみました。ではまた。
from terapika
「天使からのおくりもの」
凰宮天恵/著 ★ 寺門孝之/絵
大和書房 本体1100円+税
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baby oil magic ”
場所 : 美術画廊ギャルリ・ムスタシュ(大阪・心斎橋)
日程 : 2000年4月7日〜2000年5月7日
(詳しくは、“てんらんかい”の“NEXT”でご覧下さい)
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