2000年4月25日、火曜。晴れ。
今日、朝はファッション専門学校。今期のクラスは人数が多くて賑やかで楽しいです。呑み込みも早いし楽。さて今日も昨日にひきつづき、天使について
遺伝子導入天使
今の僕の絵を見てくれている方は、僕が東京時代、コンピューターを用いた絵に没頭してたことなんて知らない方がほとんどだと思います。逆に、当時の僕のとんがった活動を見ていてくれた方は、今の僕のオーソドックスな絵に違和感を感じているかもしれません。とにかく、僕は1984年にコンピューターで絵を描く仕事に就いて以来コンピューターにのめり込み、神戸へ戻ってくるまでの10年間、デジタル・アーティストとして着々とキャリアを積んでいたのでした。そのラスト近く、1990年〜91年にかけて僕は「遺伝子導入天使」というタイトルのシリーズを手がけていました。1990年にはギンザ・グラフィックギャラリーで同タイトルの個展も開いています。今日はその時のパンフレットを引っ張り出してきました。その中になにやらややこしい文章を書いているので紹介します。
“TRANSGENIC
ANGEL”
transgenicとは「人工的に遺伝子を導入した」という意味で、バイオテクノロジーの術後として使われます。僕なりにはもう少し広く、本来のオリジンを超越した、あるいはむしろオリジンを失った状態、宙ぶらりんの、根拠のないといった風情をこの形容詞に感じています。そしてこのtransgenicといったときに立ち現れる人工性と無根拠性は僕にとっての美の規範にもなっているのです。
transgenicの-genicは、photogenicの-genicと同じです。写真うつりの良い人をphotognicと形容します。それは本人にphotogenie、つまり写真らしさが付着しているわけです。本人の容姿とはまた別に写真の上だけに存在するリアリティ、これを支えているのがphotogenieなのです。僕はこのはたらきが写真にだけあるものではないと思います。あらゆるメディアにそのメディア特有のgenieがあるのです。むしろ各メディアはそのメディア特有のgenieとともにあるといった方がよいかもしれません。genieというのは日本でいう「らしさ」のことだと思います。「らしさの精」、これがgenie(ジェニー)です。女の子の名前のようなので、僕はこのジェニーという響きにも心ひかれるものを感じています。僕はあるメディアのジェニーが別のメディアのジェニーと出会い、交わっていくことに特別の関心を抱いています。様々な「らしさ」が掛け合わされていくとき、本来のオリジナリティは完全に消滅し、それでもそこには確かなリアリティが浮かび上がって来る。そのリアリティはいわば天使の気配でしょう。天使とはメッセンジャーdす。かなたの消息をここへ伝え、また彼方へと僕らを誘導してくれる半透明の半分存在です。僕たちが立っている基盤からどうしてもジャンプしなくてはならないとき、自らの身を半透明にしてでも次のステップを欲求するとき、やってくるのが天使です。ジェニーの異種配合から天使を出現させることが僕のテーマです。
どうです? むづかしいこと言ってるでしょう。でも今読んでも間違ったことを言ってるとは思わないな。ただ、その当時の思惑とは裏腹に、僕はデジタル世界から思いっきりジャンプして、「絵」という次のステップを欲求したわけですが。
それにしてもまたここに突然「天使」が出たのはなぜでしょう? またこの文章における僕の「天使」に関する様々な断定はいったい何の根拠あってのことなんでしょう? 毎度ながらこの無根拠さ、無責任さに我ながら呆れます。とにかくデジタルによる絵の制作の果てに突然このような形で画像に天使(らしきもの)が現れ、それに「transgenic
angel」と名づけていたのです。でもいったいどうしてそんなこと思い付いたのか? なにゆえ、このふにゃっとした発光体を「天使」だと思ったのか? ああ、謎は深まるばかりです。それ以前にも僕は「天使」と深く関わっていたんでしょうか?
つづきはまた後日。from
terapica
「天使からのおくりもの」
凰宮天恵/著 ★ 寺門孝之/絵
大和書房 本体1100円+税
“
baby oil magic ”
場所 : 美術画廊ギャルリ・ムスタシュ(大阪・心斎橋)
日程 : 2000年4月7日〜2000年5月7日
(詳しくは、“てんらんかい”の“NEXT”でご覧下さい)
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