寺門です。今日も主にイルカの絵を描いてたのですが、ほぼ完成!
不思議なのですが、これまで画面上で起こったことのない絵の具の反応がどんどん生じて、我ながらびっくりするくらいの良い「状態」になってきています。やっぱり、CEBUの海の風をたらふく食べてきたのが良かったのでしょうか?アクリルでは会得したけれど、水ではなく油が媒体では決して得られないと思っていた偶然の滲みの効果、しゃぶしゃぶ感が油彩でも現れ始めました。きっと僕自身が今、良性イオン化反応しているに違いない。今のうちに、描けるだけ描いておきたくって、一瞬も惜しい。
けれど、アトリエから自宅に戻ると、絵、描けないんだよなァ、道具が全く無いので・・・そこで、今も繋がってるあの海のことを言葉で描いておきましょう。
真珠の虹の乳の蜜の海3月10日、CEBUに来て3日目の朝、ホテルのビーチからクルーザーに乗って、カランガマン島へ向けて出発した。その日は晴れていたのだが、薄い絹のような雲が空に広がって、海も空も柔らかい光を発していた。見るところ見るところがパール色に鈍く輝き、ぢんわりと虹が滲んで見える。本当に虹が立っているのか、コンタクトレンズのせいなのか、それとも気持ち良くなりすぎた僕の脳に脳内麻薬が分泌されてきているのか、もはや定かでない。柔らかな虹の滲み合いによって光景が成り立っている。夢の中でいつも味わっているムード、光の具合がそのまま、現実として僕を包んでいる。それとも、僕からこの光景が溢れ出してるの?と思ってしまうほどに懐かしく、かつ新しい光景! 虹でできた海、虹でできた海面、虹でできた水平線、虹でできた空、虹でできた遠くの島・・・そして時折、船に弾かれるように数匹の飛魚がスーッと海面スレスレに飛んで行く。僕はただただうっとりするばかりだった。青でもなく、緑でもなく、ピンクでもなく、ローズでもなく、その全てであってまた、輝きは真珠のような、錫箔のような、鈍く、でもココロに染みとおってくるような輝きだ。マチエールは、ミルクのような、蜜のような、甘いなめらかさで。そうしてそれは一瞬の光景ではなく、ずーっとそのまましばらくつづくのだった。
永遠のようなドリームタイム。クルーザーのキャプテンは、今日はイルカはいないようだ。over
there、ずっと向こうへ行ってしまってる。残念でした、と言う。妻:帰りには見られる? キャプテン:そうだといいが 波間に黒く鋭い三日月形がのぞいているのを妻が発見。イルカ? サメ? キャプテンはカジキマグロだと言う。妻:サメはいますか? キャプテン:フィリピーノはサメを獲って食べる。だからフィリピンのサメは人を見たら逃げる。大丈夫。
イルカが現れる前、1羽の白い大きな海鳥がしばらくの間ずーっと船についてきていた。そしてキャプテンが急に身を乗り出して、サングラスを上げ鋭い目で前方を見やり、ドルフィン! と指差した。イルカ達は船のまっすぐ前方に小さく、黒い泡立ちのように現れて、船を待っているかのよう。みるみる距離は縮まり、イルカ達は小グループに分かれて、船の周りで、あっちでもこっちでも低いジャンプを繰り返す。100頭くらいはいそうだ。やがて二手に分かれて、船の後方に船が立てる大波を次々に跳んで遊ぶ。この波乗りが愉しいらしく、ずーっと船を追いかけていた。
彼等は大きく頭が丸く鼻の短いイルカで黒い。キャプテンが言うにはこの種類は高くジャンプはしなくて、波に乗るだけ。鼻の長くとんがってるイルカはぴょーんと高くジャンプしたり、スピンもしたりするということだ。かなりの長い間、イルカと一緒の時間を過ごした。
やっぱりイルカは不思議な存在。イルカが現れると、ただ向こうにイルカがいる、というだけではない連帯感のような感じに包まれる。あいさつの感じ、期待や、サービスや、遊び、そういった感じが伝わってくる。
イルカ達が海中へ姿を消すと、やがてパールタイムは終わり、僕達の前方は、白く明るくなっていく。そしてその遠くからは白く見えた辺りにたどり着くと、そこは余りに透明なターコイズブルーの浅瀬で、たっぷりとした透明の海水の先に珊瑚や海胆が見えはじめる。そしてカランガマン島に到着した。
ぢゃ、また明日。2000年3月18日、土曜、晴れ。北野坂には観光の人がいっぱい。
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