2000年2月11日、金曜、晴れ。
昨日、夜から家族と有馬温泉へ行き、一泊してきました。湯治と誕生日のお祝いを兼ねて、おいしいご飯をいただいたり、家族で布団でごろごろしたり、トランプしたり、そして温泉につかったり。そこは古い温泉旅館で、新しいきれいな大浴場と、地下にある古い岩風呂があって、僕はその古い岩風呂が大層気に入って何度も何度も入りました。銀泉という透明なお湯と、金泉という赤茶色の濁ったお湯の二つの温泉があって、僕は金泉がお気に入り。本当にやわらかな質感で、腰にぢんわり効いてくれました。
僕の何倍もあるような大岩で組まれた小さな赤い池のようなその金泉につかりながら、僕にぢんわり浮かんできた考えは、「今、いるべきところに僕はいるなあ」ということでした。腰が痛くなったおかげで、日々の流れからちょっと身を引いて、ぢっとしてた1週間。そして誕生日を思いの外、湯につかって過ごすことができたのは、結局大正解だったんだなあ、と感じられました。
「今いるべきところに、いること」、それは言葉ではシンプルですが、かなりむづかしいことです。僕は大学を卒業するまで、いつも「ここは僕がいるべきところぢゃない」と感じたまま悶々と過ごしました。セツ・モードセミナーに入ったとき、初めて、「あ、いるべきところに、いる」と感じました。東京の下宿先の近くの川岸を写生道具をかかえてうろうろしながら、将来に何のアテもなかったけれど「いるべきところに、いる」と感じました。
ここ数年は、この神戸のアトリエが「僕のいるべきところ」でした。僕はできるだけそこを離れたくなかったし、離れると途端に調子をくずしました。だから、旅行とかへ出かけてもどこかでアトリエに居た方がよいのかも、というか、またアトリエに戻るためにたまたま今はここにいる、と思ったものでした。
でも、誕生日に温泉の中にぢっといて、その時、ひさしぶりに「いま、いるべきところに僕は居る」と強く思ったのです。その時思ったのはただそれだけだったんですが、帰ってきて、頭がすっきりしてきて、僕は凄く大きなプレゼントを受け取ったような気がしています。これからの40年を賭けるに充分くらいの大きなテーマ。それをここには書きませんが、今後の僕の絵で、それを実現させていこうと思います。感じてください。
その岩風呂は大きな洞窟の底みたいで、岩の通路の先から外の光が漏れていて、いわゆる胎内回帰願望(実感したことはなかったけれど)、ってやつを満たすにはもってこいの場所でした。もしかして、本当に僕、生まれ変わった、いや生まれなおしたかも。僕の静かな変化に注目です。
祝福のお便りを頂いた皆様、ありがとうございました。これからもますます太くなって行く“てらぴかワールド”にご期待ください。ある方のメールにあったけど、21世紀とともに40代に突入する僕の歳巡りに感謝です。from
terapika
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