よく、お酒とか造るプロセスで、「寝かせる」というのがありますが、僕が絵を描く際にも、「寝かせる」ということをします。つまり、僕が絵を描くプロセスは、大きく分けると2段階あって、第1が「仕込み」、第2が「仕上げ」で、その間が「寝かせてある」状態と言えましょう。
「仕込み」は、紙を適格なサイズに裁断し、ジェッソを塗り、一応、絵が姿を現すまでで、ここまでだとまだ絵の具は絵の具のままに見えます。
「仕上げ」では、「仕込み」の済んだ画紙からその時ピンと来たものを出してきて、さらに絵の具を浴びせ、絵の具が絵の具ぢゃなくなってユラリと白い湯気のようなものが立つまで、そこまで行くと完成です。
その間の「寝かせ」は1日だったり、1月だったり、数年だったりします。画室には、「仕上げ」を待つ「仕込み」済みの画紙があちこちに散在していて、毎朝、それらの中から次に完成させようという気になる1枚を引き抜いて、再び触り始めます。
ところが、一度、「仕上げ」も終わってサインまでした絵でも、なんとなく発表を控えてて、ついつい「寝かせて」しまい、ある時、急に大変貌して仕上がる絵もあります。今手がけてるのもそんな1枚、昨年の夏に友人の画家・樋上公実子さんをモデルに描いた大きな絵があって、それは既に完成したつもりで、複写も済ませてあったのですが、なぜか発表の機会を逸していました。昨日から急にその絵が気に鳴り出して、引っ張り出して、大胆に加筆中。凄く良くなりつつあります。1年2ヶ月「寝ていた」絵が、今、まさに目覚めつつあるところ。1枚ずつの絵が、自分の意志(WILL)を持っているとしか思えません。
「仕込み」は作家が絵に絵自らのWILLを抱かせるまでの作業、その後、絵は寝ながらWILLは育ち、育ち切るとこんどは絵のWILLが作家を突き動かし、「仕上げ」へと向かわせる。どうやら、こんなことになってるみたいなんです。今日は、久し振りに「絵」について書いてみました。
10月20日、水曜、晴れ、ああいい気持ちな日だった、from
寺門孝之
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