Back Number 1999

 

 9月10日、金曜、こちらは晴れ。

 ゾロ目の日も終わり、僕は夢で、インドとか、ネパールとかあっちの方に行ってたみたいです。鉄道事故とかにも遭ったりしたけど、笑えるような夢でした。(詳細忘却)

 昨日から、久し振りにアトリエで、絵を描いています、さっそく。で、今日は「絵」について、また、すこし。

 僕が絵を描いているとき、「画面の状態」のことだけを、ぢーっと見詰めている、ってことを以前ここで書いたと思うんですが、そのことについて、もうちょっとくわしく述べます。

 絵は、単にイメージであるのではなくて、イメージが紙やカンバス(支持体)とその上に載せられた絵の具などによって、あくまでも「物(ブツ)」として実現したものです。だから、その「ブツ」が問題。紙に絵の具が塗ったくってある、と思うような段階では、僕には「絵」と認められません。紙(やカンバス)と絵の具(や、どんな画材でも)が一体となって、なんでこんな色が出てるのかわからない、不思議な状態に「ブツ」が変化、進化してなくちゃヤなのです。僕がさかんに「光る」まで描くというのはそのことです。モニターの画面が光るのはアタリマエ、「ブツ」である絵の具や紙が渾然一体となって光を発するのを求めているのです。

 「光る」というのは、なにも画面の明るさを言ってるのではありません。暗い色でもおんなじこと。絵の具が、絵の具の粒子が、「ブツ」であるところから、懸命にジャンプして、ダンスして、1粒1粒が明確に、色and光を発してるような状態。ご飯で言うなら、お米の1粒1粒が起ってる状態。絵の具の粒が支持体の上で爪先立って、あるいはさらにぴょんぴょん飛び跳ねて、色を、光を、発する。そんな状態になるように、そんな状態になるまで、僕は画面を触りつづけるのです。

 わかっていただけますでしょうか?

 さて、今日は絵の具の粒がジャンプするところまで、行けるかな?

 ぢゃ、またあした、from 寺門孝之