「絵で、何を伝えたいと思いますか?」というような質問を、展覧会にきてくれた個人のお客さんからはめったにされませんが、メディアのインタビューなどではよく訊かれます。
そういうときにいつも言うのはこんなこと、「僕が何か伝えたいと思っていたならその絵は僕が何かを伝えたいと思っているということを伝えてしまうでしょう。僕自身は伝えたいことはなにもなくって、からっぽで、何か伝わりたいものが、僕と絵を通して、絵を見てる人に伝わっていくのだと思います」というようなこと。
僕、これだけは本当に徹底していて、だから、なぜ「天使」なのか「イルカ」なのか、と訊かれても、やっぱりわからないんです。「絵」の方が主体で、僕はパイプか電線みたいなもんだと思ってるので。
で、ぢゃあ、絵を描いてるとき、何を思ってるかというと、「画面の状態」のことがほとんどと、あとはしょうもないこと、腹がたったこと思い出したり、食事のこと考えたり、お金のこと考えたり、そんな日常のこと、でも、その底の深いところで、し−ずかーに、クールに、「画面の状態」を見詰めている。僕の底に潜む、絵を描くアニマルがじーっと見詰めている。紙と絵の具と水と光と、あるいはカンバスと絵の具と油と光と… そしてアニマルがこれでよしとするまで画面は撫でられつづける、触られつづける、いつか画面から白い光の湯気のようなものが立って、アニマルが落ち着いて、絵が完成するまで…
ようこそ“てらぴかのえんがわ”へ、なかなかコンテンツふやせなくってゴメン、いそがしくって…
8月27日、金曜、曇りときどき雨、サロンあと数日で終了、まだの方、ぜひお見逃しなく!
from寺門孝之
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