1961年2月10日、午前1時50分(寒い深夜)、名古屋市内の病院で生まれる。「2325グラム、47センチ、体重は未熟児だが、10日も予定日より長くお腹の中に居たので、充分に生育しているため心配ないとのこと」・・・・と、母の育児日記にある。

 父・寺門一彦、母・寺門法子(旧姓=内本)の長男、そして一人っ子として育つ。(水瓶座・B型)。幼児期は身体がやや弱く、両親に心配をかけた模様。他の子供たちと遊ぶのが苦手で、隣近所の子供が遊びに来ると、青くなって食卓の下にもぐって出てこなかったこともあるとか・・・。両親ともに絵が好きだったことも手伝ってか、物心つく前から盛んに絵を描き始め、当時の絵は今も母によって多数保存されている。後年、僕は僕が子供だった頃のそれらの絵にインスパイアされて、再び絵の世界に突入することになるのだが、それはまだずっと後の話。

 3歳、幼稚園入園時から父の仕事の都合で、神戸市(須磨区)へ移り、そこで幼稚園時代を過ごす。やはり人見知りが激しくなかなか友達ができなかった模様。相変わらず、よく発熱などしていた様子。どちらも母の心配の種だったはず。幼稚園についての記憶はあまり無い・・・近くの老人ホームのようなところを訪ねておじいさんに花を渡したこと、その場所の近くの大きな溝に大好きなコウホネの花が咲いていたこと、夏のお泊りで夜の幻灯会(スライド映写)のとき、スクリーンにセミの黒い大きい影が映っていてそればかり見ていたこと、・・・・とかそれくらい。

 ただ、通園途中のパン屋さんから、犬をもらいうけ、飼うようになったことはめちゃ嬉しかったのを覚えている。どんな名前を付けようかとわくわくしていたところ、すでに「三郎(サブロウ)」の名があることをきき、愕然。「サブ」とよべばかわいいじゃないといわれ、しぶしぶ納得。以来、子供時代の僕の記憶の中で、サブは重要なキャラクターとなる。

 小学校入学時より、神戸市垂水区へ転居。当時の新興住宅地で、山をどんどん切り崩しては整地し、家が建っていく。あたりにはまだ、山や林や野原や池などがずいぶん残っていて、またそれらを潰したあとの更地(サラチ)もまたかっこうの遊び場だった。植物や虫の採集、化石採り、カエル採り、メダカすくいなどに駆け回るようになる。吉本のお笑い番組の影響もあって、性格もやや陽気になり、お楽しみ会などで漫才やコントを演じるようにもなり、じょじょに友達も出来てくる。

 高学年になると、リーダーシップまで発揮しはじめ、積極的にクラス委員なども務める一方、歴史に興味を抱き、伝説の収集のため地域の神社やお寺、老人ホームやなにを考えているのか交番などをフィールドワークしてまわったり、あいかわらず野山に分け入り、珍しいスミレや野生ランを収集・栽培するなど、渋好みの小学生だった。(つづく)

赤ちゃん時代
幼稚園時代
サブと一緒に
小学生時代
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