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m y d r e a m s
 

『魚食す民族』
 

 潮臭い小雨がねとねとと肌に纏わり付く海辺にいる。僕は家族と一緒に水浸しの黒い地面にぢかに座って、手に持った生魚を食べていた。皆も同様に生魚をかじっている。魚は物凄く生臭い。嫌だけれどこれが唯一の食事なのだと自分を出切るだけ無感覚にして魚を食べつづけた。

 そうしながら色々な記憶がよみがえって来た。家族と言っても血の繋がりが有るわけではない.。それもついきのうまでは全く見ず知らずだった者たちのはずの、祖父母、父母、僕と、弟。よく思い出せないが、戦争か大災害があったらしい。それによって皆、家も本当の家族も失い、ただ魚を食べるためにこの家に流れ着き、棲みついたのだ。家、と言っても屋根も壁も無く、かろうじて間取りが分かる地面の痕跡の上に僕たちは棲んでいた。

 戦争か大災害で全てが壊れてからずっと雨が降っている。それで皆、全身ぐっしょりと濡れ、泥まみれで、裸足だった。僕は出来る限りそうした不快に対して無感覚であるよう努めた。皆も同じだろう。

 この辺りは海辺の住宅地であったらしく、たくさんの家の痕跡が残っていた。ではなぜこの家に皆来たかと言うと、テレビが点いていたからだ。なぜか屋根も壁も無いこの家には居間らしいところにテレビだけちゃんと残っていて、しかも画像が映っていた。皆、言葉交わすこと無くただ魚を食い千切りながら、ぼんやりとブラウン管を眺めていた。

 青い海に赤い日本列島が浮かび上がるタイトル画面に「魚食す民族」と文字。広い投げ網で魚をとっている漁船の一群が映し出され、漁師たちの働く賢明の姿がそれにつづく。

 それを見ていた祖母が口のまわりをウロコだらけにしたまま「この魚もああして天皇陛下がおとりくだすったのだから大切にちょうだいしようよ」と言った。皆もそれはそうだというようにうなづきあって魚を食いつづけた。

 僕はどんどん鈍くなる意識の働きを奮い起して考えようとする。「ああそうか、この家にはテレビが有るから毎日魚を配給してもらえるのだ」と納得した。

 さらに僕は考えつづける。するとここはもともと僕たちの家ではなかったことを思い出した。僕たちがやって来た時、この家で小さな女の子が一人で魚を食べながらテレビを見ていたのだ。僕はその少女がこの家本来の住人の生き残りだと理解した。そして皆でその少女を捕らえ、手足を縛って玄関の外の土地に埋めたことを思い出した。

 ふと、玄関であった所の先に目を向けると、やはり小さな女の子が首から上を地面に出して埋められている。顔に雨で濡れた柔らかそうな草がはりついて、濡れた黒い毛髪と交じり合っている.雨や泪のせいでか彼女の顔は鈍く白色に光っていて、泥に汚れた顎や頬のあたりが痛々しく黒ずんでいる。目は細く切れ長で、よく見るときれいな顔をしている。その相貌が見ているうちにみるみる大人びて来る。

 何て罪なことをしてしまったのだろうと僕は思ったが、意識が曇っていて罪悪感さえも朦朧としていた。「ねえ、あの子にも魚をあげようよ」と僕が言うと、「そうねえ、もとはと言えばあの娘の魚だからねえ」と母(のような女)が立ち、一匹の死魚を女の子の口元の草の上に置く。

 少女は首を傾げて口だけを使い、ぐちぐちと音をたてて犬のように魚を食べていた。その様子を見ながら、けれど何の感情も湧いて来ない。ただ、「ああこれは家族というよりは民族であるな」とぼんやり考えていた。

(1984年某月某日早春、東京・阿佐ヶ谷)