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m y d r e a m s
 

『ハナサン』
 

 旅館の様な広く、少し陰気な感じのする日本家屋。その一室を間借りして住んでいる僕は幼い少女だった。着古した白いブラウス。赤茶色と黒の斜めの格子じま格子縞柄の吊りスカート。十歳くらいのおかっぱ髪の小さな僕。

 広くて暗い部屋は居心地が悪い。小雨が降っているが、外へ出たい。やはり旅館なのか、玄関を出るときれいに世話された日本風の庭があり、飛び石をぴょんぴょんと小気味よく走って外へ出た。

 アジサイがたくさん咲いていたようだ。くねくねと曲がる細い路地を傘をささずに歩いた。路地の両側はやはり古いお屋敷か旅館で、青々とした垣根がつづく。蛇の様によく曲がる小路をかなり長いこと、うねうねと歩きながら、色々なことが思い出されてきた。

 自分が家族と暮らしていた家がなくなってしまい、今は一人で遠縁の屋敷にあずけられている。屋敷の人たちは良くしてくれるがどうも馴染めず、広い部屋は暗くてこわい。日に何度もこうして外へ出て、この長い蛇路地を歩いてばかりいるみたい。それにしても人がいない。誰も通らない道。

 路地を抜けると急に視界が開けた。こんなことは初めてだ。路地の先にこんな広々した場所があるなんて。さっきまで雨が降っていたのに、ここは西部劇に登場するようなカラカラに乾いた土地で、黄色い土ほこりが立っている。何よりも明るい光があふれているのが心地よかった。黄色っぽいその土地のところどころに、こげ茶色の木造倉庫のような家が点々と立っている。とても遠いところへ来てしまった気がした。人の気配はしない。わたしはその村の風景の中へおずおずと踏み入れた。

 まっすぐ前に見える家の戸口が開いている。おそるおそる中へ入って行くと、木工所の作業場のようで中に人はいないみたい。奥は光がたまって明るく広々している様子だが、右半分の視界が遮られていた。

 その時だ。今入って来たはずの家が逃げるように前方にスッと遠のいた。わたしはまた戸口の数メートル手前に立っている。嫌なことが起こった気がした。

 気を取り直して、さっきと全く同じ光景へ向かって一歩足を踏み出した時、その屋根の向こうから、音も無くゆっくりと大きなキノコ雲が上がった。わたしはただ呆然とその雲の形に見入っていた。物凄い熱風で、辺りの家の屋根がめらめらと炎を上げて燃えながらわたしのすぐ近くをスローモーションで飛んで行くが、わたしと、わたしの目の前の家だけは何事も無く平和だった。

 わたしはもう一度その家の中に入っていった。先程と全く同じに見える作業場の光景が繰り返されたが、視界が遮られることはなく、ストンと家の中が見渡せた。外からは小さな小屋に見えたが、中は体育館くらい広くてガランとしている。その中央に、小さな老人が疲れた様子で木の椅子に腰掛けている。昔の小学校にあったような古い木の小さな椅子。

 「ああ、わたしはこの人に会うために、ずいぶんと色々な目にあってきたんだ」

 わたしはその人の方へ少し歩んだ。短く刈られた白髪頭の小柄でころころっとした老人は力が抜けたようにうつむき加減で座っていた。わたしが立ち止まってじっとその人を見ていると、その人も顔を上げ、わたしを見た。その瞬間、全てがわかった。

 「ハナサンだ」

 その人は以前、わたしの家があった時に使用人として一室に住み込みしていた。わたしはまだずっと幼く、とてもかわいがってもらった。本当の名前は知らなかったが、庭の木や花の世話をしてくれる人だったので、わたしも父母もその人のことを「ハナサン、ハナサン」と呼んでいた。ハナサンがなぜわたしの家からいなくなってしまったのか、わたしは知らない。(ハナサンがいたことさえすっかり忘れていたのだ。)ハナサンがいなくなってからは、父が主に庭の世話をしていたが、以前より植物たちの生気が失せたように感じたこともあった。

 わたしは懐かしいハナサンのすぐ前で、でも何も言えないでじっとハナサンの顔を見ていた。ハナサンは深い深い水色の目をして、やはりじっとわたしを見詰めてくれていた。時が止まっているみたいだった。また会えて良かったと思いながらも、今にもこの家もこの人もなくなってしまう気がして、胸がドキドキして仕方なかった。

(1985年某月某、東京・阿佐ヶ谷)