<第2話:ベトナム/サイゴン>
今となってはそれが旅の記憶なのか、旅で見た夢の記憶なのか、
あるいは、夢で見た旅の記憶なのか、よくはわからないのですが・・・。
「行き倒れ」の人を見たのは、生まれて初めてのことでした。
場所は、ホーチミンシティー、つまりかつてサイゴンと呼ばれた街の
メインストリートの一つ、ドンコイ通り。
日本の若い女性たちにも人気の雑貨店やブティックが立ち並ぶ、
そのオシャレな通りの舗道に、男は倒れていました。
まだお昼には間がある時間でしたが、すでにあたりは
熱帯の雨季特有の蒸し暑さが満ちていました。
男は衣服を何もつけていなかったので、干涸びたようなペニスがまず目に入りました。
男の枕元には彼の持ち物らしい、汚れた麻袋がひとつ置いてあります。
目は閉じられていて、眼窩(がんか)は落ち窪んでいました。
僕はその顔を「まるで死んでいるみたいだ」と思いましたが、
何しろこの街はそこいらじゅう浮浪者であふれかえっています。
路上で寝ている人はそれまでももちろん、たくさん見てきましたし、
道端でお尻を丸出しにしてオシッコをしている女性さえも何度となく見かけました。
ですから、素っ裸で舗道で寝ている食うや食わずの
浮浪者がいても不思議ではありません。
おまけにこの暑さなのですから・・・。
「もしかして死んでるのかな〜? でも死んでたらさすがに誰も放っておかんやろ」
僕はそう思って、目的地である郵便局に向かいました。
すでに朝のラッシュは終わっていましたが、
一方通行の通りをひっきりなしにホンダ(ベトナムでのバイクの総称)のエンジン音
が通り過ぎていきます。
30分ほどで郵便局の用事を済ませ、男が倒れていたあたりの舗道に戻ると、
黒山の人だかりができていました。救急車のような車が止まっていて、
公安も来ています。男の顔には白い布が掛けられ、その脇には
ちゃぶ台のような急造りの祭壇のようなものがあります。
その上には中華スタイルの線香が焚かれ、
バナナやリュウガン(龍眼)といったお供えの果物が置かれていました。
役人なのか僧侶なのかわかりませんが、白いワイシャツ姿の男が、
手を合わせて何やら唱えています。
「ああ、やっぱりあれは死んだ人の顔だったんだ・・・」
よく考えると僕は、生死を教えられてない死体を見た経験はありませんでした。
死に顔を見るときはいつも、医者が「お亡くなりになりました」と教えてくれたあとか、
「誰某が亡くなった」と知らせを受けて、通夜や葬式に駆けつけたあとのことです。
もしかして僕は第一発見者だったのかもしれない・・・、そう思うと後ろめたい気分
になってきました。
しばらくしてワイシャツ姿の男は祈りを唱えるのをやめ、
何人かの野次馬に手伝わせて、男の死体を車に積み込みました。
公安は、男の持ち物であろう麻袋を確認していましたが、
中に何の手がかりも遺品もないことがわかると、
それを再び舗道の上に投げ捨てました。
やがて男の死体を乗せた車は、ワイシャツ姿の男が運転してどこかへ走り去り、
公安も野次馬に解散を促すと、白ホンダに乗って立ち去りました。
その時です。どこからか、浮浪児らしい4〜5歳ぐらいの少年たち数人が現われ、
裸足で舗道に駆け寄ると、お供えにおいてあったバナナやリュウガンなどの果物、
そして何も入ってない男の麻袋をサッと持ち去り、
あっという間に反対側の公園の方へ走り去って行きました。
僕は最初、今起きたことの意味が理解できずに、呆気にとられていたのですが、
「ここは『羅生門』なのだ」と気づいた時には、目の奥が痺れた気がしました。
思えば、男が素っ裸だったのも、そういうわけだったのでしょうし、
おそらくは僕の前に何人もの死体発見者がいたのでしょう。
そしてその時、麻袋の中には、まだ1册の本なり、1枚の写真なりが
入っていたのかもしれません。
『今昔物語集』の時代はもちろんのこと、
芥川龍之介が『羅生門』を書いた時代も、黒澤明が『羅生門』を撮った時代も、
こういった光景は日本でももっともっと身近な物語だったんだ・・・。
そんなあたりまえのことを、ふとあらためて思いながら、
すべてが片付けられ、野次馬も消えた舗道を僕はしばらく見つめていました。
そして10分ぐらいして、日本人の女の子2人組が、
ブティックで買い物をした時にもらう、い草のバッグを手に、
男が寝ていた舗道の上を颯爽と通り過ぎるのを機に、僕はその場を立ち去りました。
男がいたドンコイ通りの舗道
ドンコイ通りを行くアオザイ姿のOL
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