< 茶話 >
2000年9月29日
早いものでオリンピックもあとわずか。
みなさん、中継見てましたか?
僕は歩くこと以外は今は何もスポーツをしてない人なのですが、
見るのは大好きで、自由業であることをいいことに
生中継、録画中継と、まめに見ていました。
オリンピックを見てると、“一つのこと”を極めることの難しさや、
それを達成した時の本物だけが放つ美しさ、
あるいは運というものが持つ抗しがたい力、
また、ある意味でそれをコントロールしている何者かの
宇宙的尺度のバランス感覚・・・、
そういったものが垣間見えて、月並みな表現ですが、
大変勉強にもなり、また大いに鼓舞されます。
とかくハッタリや経済原理、コネクション、バーター、社交辞令
といったものに左右され、自分にとっての絶対的なモノサシを
見失いがちなメディアの世界に生きる僕のような人間には、
本物のモノサシを取り戻すことができる貴重な機会です。

また今回の大会は、
この10年ぐらい僕がおおむねの日本人に対して感じていた、
精神的な柔軟さや自立度における、男性よりも女性の方の優位さが、
そのまま成績に如実に反映している点でも興味深いものがあります。

そんなオリンピック期間中の<茶室>には五輪旗にちなんで
色々な色のお茶を用意しました。
緑茶、紅茶、青茶(ウーロン茶)、黄茶(緑茶とウーロン茶の中間)、
黒茶(プーアル茶)の五色に、地色の白茶(茶葉に産毛が生えている品種)
を加えた6種類です。お好きな色のお茶を飲みながら、
オリンピック中継の合間にでもお読みいただけると幸いです。

<茶話その11 人生を編集する>

長年にわたって僕が悩み、そして今も時々不安に思うことがあります。
それは「“一つのこと”にはまることができない」という自分の精神的体質のことです。
(「性質」や「性格」というより、「精神的体質」という方が自分としてはしっくり来ます。
あるいは生まれついての「性分」といったところでしょうか。)
オリンピックなんて、それこそ“一つのこと”にはまり、熱中し、
それを極めた人たちばかりが集まって、じつに美しい世界です。
(もちろんそれぞれが引退後の人生という問題を抱えるのでしょうが・・・。)
また、文学や芸術の分野にしても、活躍されている人はみなそれぞれ、
小説、演劇、美術、音楽、・・・と、「自分はこれだ!」というものと出会い、
さらにその世界の中でもさらに的を絞った「これだ!」という道を選んで
進んで行った方ばかりです。
てらぴかさんももちろん「絵」にはまり、それを極めようとされている方の一人です。
ことはスポーツや芸術などの文化に限りません。
あらゆる職業についてもいえることです。
もちろん中には何かをあきらめることでその道を進むことになった人もいるでしょうが、
人はたいてい何かを選択し、その道を進みます。
趣味というレベルでいうと、もうほとんどどんな人でもそれぞれ自分なりに
「はまるもの」を見つけて、それを楽しんでいるはずです。
ところが僕にはそれすらないのです。
てらぴかさんはじめいろんなジャンルのプロの方はもちろんのこと、
趣味で何かに熱中されてる方々を見るにつけても、
素敵だな〜とうらやましく思う一方、
それに較べて自分は何をやっても何と中途半端なんだろう、
こんなんで将来大丈夫やろか?・・・とコンプレックスを感じてしまうのです。
(強いて僕の趣味といえば、旅なのでしょうが、
僕にとってそれはむしろ人生哲学のようなものです。
そのあたりのことについては<茶話その2>を参照してください。
また「旅」「趣味」というお題に関しては
機会をあらためて<茶室>で書くこともあるだろうと思います。)

とにかく僕の場合、良く言えば「好奇心が旺盛」、
悪く言えば「欲張り、けれど飽きやすい」という精神的体質で、
この36歳という年齢になってもまだ「これだ!」というものと出会わずに
モラトリアムな状態のまま今に至っています。
そのうち何かと出会う、あるいは何かをあきらめて自ずと進むべき道を進むだろう、
と思ってはいるのですが、
どうやら自分の心の中に常に冷気を保つ部分があって、
何か特定の世界にはまりそうになると
あえて自らそれを避けようとするようなのです。

僕は今、本の編集という仕事をしていますが、
実は生まれてこのかた、この仕事に憧れたことは一度もありませんでした。
本は確かに子供の頃からよく見てましたが、
もっぱら図鑑や百科事典、地図帳のページをパラパラめくるのが好きなだけで、
およそ本好きとはいえません。
今、僕がこの仕事をしているのは、まったく主体性に欠けた、
成りゆきまかせの人生の結果なのです。
そんな僕の仕事を「天職ですね」と評してくれる方も時々いらっしゃって、
「ホンマにそうなんやろか?」と自問自答を重ねるうちに、
ここ数年は自分の中で、ある一つの割り切った考え方をするようになってきました。
つまり、「“一つのこと”にはまることができないのが僕の個性であり、
なかなか他の人にはできないことなのかもしれない。
だとしたら、そういう自分の精神的体質を生かすことを考えれば、
それはそれで道を極めて行くことにつながるのではないか?!」
という大それた逆説です。

編集というのは狭い意味では出版などの世界で、
アイデアや情報が形になることをサポートする職業をさしますが、
広い意味では、バラバラに存在しているものを結び付けることで、
そこに新たなイメージを与えることであると僕は考えています。
つまり“一つのこと”にはまれない、僕のような人間にもできる作業なのです。
僕が以前、専門学校の絵本科で編集の講師をしていた時に例えて言ったのは、
「編集というのは星座を創るようなものだ」ということです。
星は夜空でそれぞれが点々と光を放ち、一見近そうに見えても、
その間の距離は実は何百、何万光年と離れています。
しかし、その星々を見えない線で結んでいき、
想像力によって何かの姿に見立てることによって、
バラバラの点々でしかなかった星々は
星座というロマン溢れる作品に生まれ変わります。
その線の結び方、イメージの与え方は、
西洋(オリエント)と東洋(中国)で星座が異なるように、
編集者の感性によって異なってきます。
(実際その講義では、僕が大小の点々を描いた紙をコピーして学生に配り、
それぞれ自由に星座を創るというワークショップをしましたが、
同じ星座を創った学生はいませんでした。)

僕の場合、この広義の編集という意味では、
ずっとそういった作業が好きだったかもしれません。
子供の頃によくやった独り遊びは、
空想の動物園の設計図を描くことだったり、
魚屋の店先の魚の配置をいろいろ考えてみることだったりしました。
学生の頃は、8ミリ映画でショットとショットのつなぎを
一コマ単位であれこれ試すことが好きだったり、
女の子にプレゼントするカセットテープの選曲や曲順を
そのコが少しでも喜んでくれるように考えるのが楽しかったりしました。
今、本を企画し、作っている時の発想の仕方や編集する時の心持ちも、
そんな遊びをしていた時の心持ちと大きくは変わりません。

僕がこれまでに自分で企画編集してきた本はどれも、
何らかの既成のカテゴリー(書店のコーナー)に
収まるタイプのものではありませんでした。
またそれぞれの作品同志も一見すると互いに何の脈絡もなく、
バラバラのテーマを扱っています。
僕のことを知らない人には、同じ人の手掛けたものとは見えないかもしれません。
これは僕が、いずれの本もその時々の僕の心の風の赴くままに作ってきた結果です。
しかし一方で、それぞれの作品を振り返って考えてみると、そのどれもに、
僕がこれまでの人生の中で少しづつ熱中してきたものが必ず詰まっているのです。
どの本も、自分のこれまでの人生のバラバラな断片をかき集め、
編集した作品ではあるのです。
(もしかすると、この「人生を編集する」という僕なりの言い方は、
てらぴかさんが『かごめドリーム』のあとがきで書かれていた
「二十歳前後の自分を折線に子供の頃の僕と重なり合う」ということや、
先日来<えんがわ>で語られている「吸って吐いて吸って吐いて」
ということにもつながってるのかもしれません。)

たぶん僕は今後も“一つのこと”にはまらない自分に時おり不安を抱きつつも、
何とか生きていって、何かを生み出すことでしょう。
一見、それらはバラバラなものであり、また、
もしかすると本ではなく、全然別の形を持って出てくることもあるかもしれません。
しかし、それらもあくまでも、その時その時に「今」を生きている自分と、
自分のたどった人生という「過去」を編集した結果の産物であるのは間違いなく、
僕にとってはやはり“編集作品”です。
あるいはひょっとすると、僕は今後何も生み出してないかもしれません。
でもその場合でも少なくとも、僕は「生き方」として、
「自分の人生を編集した生き方」を歩んでいることと思います。
こと「人生の編集」ということに関して言えば、
僕は生きている限り、これに飽きることはないでしょう。
「人間は、自分の過去に取材を繰り返し、それを自分の今へ組み込んでいくことで
自らの未来への礎を作る生物である。」
それが僕が編集という仕事から体験的に学んだことの一つです。

長々と書いたわりに結局ありきたりの結論の気もして恐縮ですが、
今日はこんなところでお開きです。
どうもお粗末様でした。
それではまた近々に。

2000年9月29日
三枝克之


今回の<茶話>は京都新聞の97年10月8日夕刊に掲載したコラム「あんな仕事、こんな仕事」
を元にリライトしたものです。


<茶室 三枝庵>では今後、コラム<茶話>とは別に、もう少し日記的な内容の短文や、
旅行記的な内容のものなども書いていきたいと思ってます。なにぶんいい加減で
ウソツキな庵主で、こうやって宣言しないとなかなかやらないし、宣言してもなかなか
書かなかったりするかもしれませんが、まあ、あんまりあてにせず、楽しみにお待ちください。

◆お知らせ
来る10月16日に行なわれる吉岡しげ美さん(ピアニスト。与謝野晶子や岡本かの子、
金子みすずら日本の女性詩人の詩歌に曲をつける活動や、NHK「おかあさんといっしょ」
などへの楽曲提供などで知られる)のコンサート『LOVE万葉』に、『Contemporary Remix “万葉集”』
からの歌詞提供というかたちで僕も参加します。ゲストに万葉学の第一人者・中西進さんをお招きし、
吉岡さんとの万葉トークなどもあります。

吉岡しげ美コンサート&平成万葉ライブ『LOVE万葉』
作曲・歌・ピアノ:吉岡しげ美/特別ゲスト:中西進(大阪女子大学学長)/朗読:野村与十郎(狂言師)
2000年10月16日(月)19:00開演(開場18:30)
新宿・紀伊国屋サザンシアター(新宿南口タカシマヤタイムズスクエア、紀伊国屋書店新宿南店7F)
全席自由4300円(前売)/4500円(当日)
チケット・お問い合わせ/チケットぴあ:03-5237-9999/吉岡しげ美チケット事務局:03-3478-0102

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