< 茶話 >
2000年6月12日

<茶室>の前の梅の実もずいぶん熟して来たな、と思っていたら
先日、近畿も梅雨入りとなりました。
当庵では、梅雨入りは、すなわち昨年漬けた梅酒の解禁日です。
梅酒って、おいしいですね。
ゆっくり飲まないとすぐになくなっちゃいます。
(<茶室>といいながら、僕、ここで酒類ばかり飲んでいる気が・・・)

<茶話その9 渚にて>

1週間ほど前、西宮の実家に行くついでに、
西宮市貝類館(#1)というところに立ち寄りました。
天気がとても良かったこともあるのでしょうが、
これがなかなかになごめるところで、とても気に入ってしまいました。

その名のとおり、世界各地の美しい貝や珍しい貝を展示した
貝の博物館なわけですが、実際の印象としてはもっとこじんまりしていて、
貝の標本室といったスケールの施設です。
しかし小さいながらも、日本の公的施設には珍しく、
立地と建物と中身のバランスがよくて、この三者がうまく噛み合い、
かなり完成度の高い空間をつくっているように感じました。
貝類館があるのは西宮沖の人工島の先端、目の前には大阪湾が広がります。
潮風があたり、波の音が聞こえる場所です。
すぐ先にはヨットハーバーもあって、外洋への夢もかきたててくれます。
(ちなみに西宮は堀江青年の数々の冒険の出発地でもあります。
堀江さんって、きっと死ぬまで<青年>なんだろうな。)
安藤忠雄さんの設計によるヨットの帆をイメージしたであろう外観の建物は、
天井や壁に大きなガラス窓をふんだんに配し、
それを通して明るい瀬戸内の光が館内いっぱいに満ちています。
(僕もてらぴかさんと同じく、コートダジュールの光と神戸や阪神間の光が、
同じタイプの光であると確信している者のひとりです。)
中庭には小さなプールがあって、
例の堀江青年が世界一周をしたヨット、マーメイド号も展示されています。
館内の内装や什器は、白もしくはガラスなどの透明な素材を基調にしていて、
白い砂浜や透明な海の水を思い出させます。
きっと、立地、建物、中身が演出するこの<渚感>こそが、
この施設の魅力であり、僕の心をなごませてくれた要因なのでしょう。
僕はこの貝類館で展示されている貝たちを見てまわっているうち、
どこかの海辺で貝拾いをしているような、そんな気分にさせられました。

ところで、海を見ていて心がなごんだり、不思議な懐かしさをおぼえるのは、
僕だけのことではないと思います。
きっとほとんどの人が、海や海辺に何らかのノスタルジーを感じるはずです。
僕は西宮という海にも山にも近い土地で育ったので、
海にも山にも郷愁を感じるのは当然といえば当然なのですが、
山を見た時に感じる懐かしさが、
自分の子ども時代の山や谷で遊んだ記憶とどこかで結びついているのに対し、
海に感じる懐かしさは、もっともっと遠い記憶、
つまり、人間が生物として持っている原初的な風景と
結びついた懐かしさのようにも感じます。
だからこそ、海のないところで育った人でさえも、同様に
海に安らぎや郷愁を感じることができるのかもしれません。

ここで考えられるのは、よく言われる「母なる海」という言葉、
また、「人間ももともとは海に棲んでいた生物だから、
その時の遥かな記憶が郷愁を呼び覚まし、安らぎを与えるのだ」
というロマンチックな話です。
夢想家の僕は子どもの頃からこういう話が好きで、
遥かなるニライカナイへ思いを馳せながら、
「やはり、いつかは海辺へ帰ろう・・・」と、
南海移住願望を育ててきました。

そんなところ、先日来読んでいた、
三木成夫さんという解剖学者の方の遺稿集
『海・呼吸・古代形象』なる本(#2)に、
この海と人間の関係について、とても興味深いことを教えてもらいました。
彼の話をかいつまんで僕なりに書くと、
ヒトの心肺や内蔵の構造というものは、基本的には、
かつて海に棲んでいた我々の祖先が海中から海辺へ上がり、
さてこれから陸へ上がるべきか、海へ帰るべきか、と
じっくりと考えていた両生類時代、つまり<渚の時代>の構造を
多く残しているのだそうです
だから例えば、呼吸器官のつくりも、海辺での生活環境に合わせてあって、
吸気と呼気のリズムも、波の満ち引きを基調とするようにできています。

その<渚の時代>に実施された
水中呼吸から空中呼吸への大掛かりな機能改造の結果として、
ヒトの呼吸器官というのは元来、吸気は得意であっても呼気は苦手らしく、
意識して呼気をしないと、すぐに気詰まりを起こすのだそうです。
今日のストレス社会も、仕事などに夢中になって
ついつい呼気することをおろそかにしたがための、
生物的な呼吸不全にほかならないというわけです。
しかし、かつてその呼吸器官を形成した場所である海辺にたたずむ時には、
波の音が呼吸をする際のメトロノームの役割を担って、
生物的に健全な呼吸がとても自然にできるようになります。
これが、僕たちが海辺に安らぎを感じるメカニズムの一つだったわけです。

ヒトにとって一番安定した呼吸のリズムは16秒らしく、
音楽でも心なごませるものはこのテンポのものが多いらしいです。
そして、波の満ち引きのリズムもやはり16秒単位。
これは貝類館にいった折に、近くの西宮浜で実際に確認してみました。

というわけで、ここに来て、いよいよ僕の南海移住計画も、
創造主から確固たるお墨付きをもらったような気がして来ました。
単なる、ロマンチストの夢想という精神的な願望から、
呼吸する一生物としての現実的な欲求へと移行しつつある
今日この頃です。

とりあえず今日はこんなところでお開きです。
どうもお粗末様でした。
それではまた近々に。

2000年6月12日
三枝克之

<余話#1 西宮市貝類館>

  僕は貝の世界にさほど詳しくないので、
 展示している貝の種類や珍しさがはたしてどの程度の代物なのかは
 よくわかりませんが、
 その展示の仕方には、「図鑑中年」である僕のツボを
 くすぐるところがずいぶんとありました。
 で、何よりいいのは、受付の人=学芸員で、
 しかもあまりお客さんもいないので、何でも気軽に質問できることです。
 (僕が行ったのは平日だったためか、他に誰もいませんでした)
 途中からは学芸員さん自身ものってきて、
 何だか貝類学の特別講義を受けているような感じで、
 結局、2時間近くいろいろと楽しい貝の話を聞くことができました。
 曰く、貝という字は巻貝を表わし、介という字は二枚貝を表わす。
 曰く、貝の99%は右巻きである。
 曰く、近頃話題のヒオウギ貝のあの美しい
 「虹の橋の端が海に浸かって、貝が染まった感じの七色」
 (マルC:ドルチェッタYMさん)
 は、環境や食物ではなく、まったく遺伝によるものである。
 などなど・・・。

  そうそう、僕は初めて見たのですが、
 「テンシノツバサガイ」という貝もあるんですね。
 これがほんと、いかにも天使の翼みたいでカワイイ。
 それと、あまり関係ないけど、隣に幼稚園があって、
 その名は「イルカ幼稚園」といいます。カワイイ。

  貝のオーソリティーのてらぴかさんや
 <えんがわ>にお越しの、関西在住・貝愛好家の方々にはぜひ一度、
 天気の良い日に訪ねていただきたいスポットです。
 阪神西宮駅かJR西ノ宮駅からマリナパーク行き阪神バスで
 「マリナパーク南」下車すぐです。
 水曜休館。(僕の父が、水族館とか水に関係ある施設は、
 水曜日が休館と世の中決まっとる、
 と言ってましたが、ホンマかいな?)

  ちなみに、学芸員さんの話では貝類に関しては
 博物学的には鳥羽水族館も充実しているらしいです。

<余話#1 三木成夫(みきしげお)『海・呼吸・古代形象』>

  皆さん、この本のことご存じでした?
 著者は東京芸大の教授だった解剖学者で、
 すでに14年前に亡くなられています。
 本書は彼の生前の文章を集めて8年前に出版されたもので、
 ちょうど同時期に出た『空の名前』と
 書店で隣あって置かれていることも多く、
 僕も当時から気になってはいたのですが、
 浅学なもので、これほど面白い本とは知らず、
 今日まで読まずに来てしまっていたのです。
 なので、もしかしたらその道ではスタンダードな本で、
 今ごろこのようにはしゃいで書くのは、
 とても恥ずかしいことなのかもしれませんが、
 ま、とにかく、読んでみてビックリ! いやあ、スゴイ本です。

  何しろ、今回書いたネタのような、僕がこれまでずっと漠然と思ったり、
 感じてきたようなさまざまな事柄に対し、
 解剖学の立場から次から次へと回答、
 もしくはヒントを用意してくれている本なのです。
 文化人類学や宗教学や精神世界系の本だけではなかなか納得できない
 僕のような文系の理科好きや、あるいは理系のロマン派タイプには効きます。
 ページを繰るごとに目からウロコが落ちて、
 気がついたら人生を測る目盛りの大きさが
 すっかり変わってしまった感さえします。
 この本からネタを拾っていけば、
 向こう1年はこの<茶話>の話題にも事欠かない気がして、
 多少、後ろ髪引かれる思いもあるのですが、
 ここはいさぎよく、ネタを披露することにしました。
 (<えんがわ>にちらっと書いた「顔は内蔵の一部」という話も、
 もちろんこの本からの受け売りです。)

  吉本隆明さんや赤瀬川原平さんが絶賛されるのもうなずけます。
 吉本さんは「これまでこの著者の著作を読まなかったことを後悔した」
 と告白されていましたが、僕も今、まったく同じ思いです。
 生物学の専門書の部類に入る本なので、
 決してとっつきやすい本ではないかもしれませんが、
 文章自体は読みやすく、わかりやすいものなので、
 まだご存じない方で、関心もたれた方は
 よかったらぜひ手に取ってみてください。

  定価は2428円+税、出版社は「うぶすな書院」です。
 (この出版社名がまた泣かせます)

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