< 茶話 >
2000年4月20日

昨夜はとてもきれいな朧月夜でした。
そして今宵は満月。
ですが、残念ながら雨雲でその姿を拝むことはできません。

今日の京都は一日中雨が降ったり止んだりの天気でした。
傘を持たずに出かけたところ、出先で雨に降られました。
あわてて近くのコンビニでビニール傘を買い、
打ち合わせ場所の喫茶店Aに向かいました。
打ち合わせが終り、原稿を書くために別の喫茶店Bに向かう時には
雨が上がっていました。
喫茶店Bでしばらく仕事をして、家に帰ろうとした時、外はまた雨でした。
そして僕はビニール傘を喫茶店Aに忘れてきたことに気付きました。
仕方がないのでまた近くのコンビニでビニール傘を買いました。
で、その傘をさして喫茶店Aに向かいました。
せっかく買った前のビニール傘がもったいないので取りに行ったのです。
喫茶店Aに着くと小腹がすいてきたので、少し休憩することにしました。
べ−グルサンドを食べて、外に出るとまた雨は上がってました。
僕はスタスタと家に向かって歩いて行きました。
途中、またまた雲行きが怪しくなり、やがて雨が降り始めました。
そして僕はまたしても傘を喫茶店に忘れてきたことに気付きました。
運の悪いことに今度はかなりの本降りです。
早足で家路をたどり、家に着いた時には下着までズクズクになっていました。
傘2本を購入し、移動させた1日でした。

<茶話その7 傘がない>

傘を忘れることについては、僕には天才的なところがあって、
イチロー選手以上の高い打率で傘を忘れることができます。
今日のような2本以上の固め打ちも得意です。
もちろんわざとやっているわけではありません。
これはきっと、僕が大学生だった19〜21歳にかけて
傘を持たない生活をしていたことの後遺症だと思うのです。
傘を持たないで、雨の日はどうしていたかというと、
朝から雨が降っている日には、外に出かけなかったのです。
試験だろうがなんだろうが、その日は部屋にいて、
本読んだり、レコード聞いたり、8ミリ映画のシナリオや絵コンテを書いたりしてました。
「晴耕雨読」という言葉に憧れていたのです。
で、外出先で雨に降られた時にはどうしてたかというと、
にわか雨だったら、雨が止むまでひたすら雨宿りしてました。
止みそうにない雨だったら、そのまま雨に濡れながら歩きました。
学校やバイト先とかだと、時には親切な女の子がいて、
自分の傘に入れてくれて、
しばらく相合い傘で話をしながら歩いたりすることもよくありました。
(それが傘を持たなかったことのひそかな大きな目的だったりもして・・・。)

今でも雨に濡れることや雨宿りとか、
結構きらいじゃないです。(決して好きだとはいいませんが)
たかだか雨の話ですが、雨との付き合い方を考えることって、
何となく、自然との付き合いの少ない今の日本人の生活においては、
自然と人間の関係性を考えることの第1歩のような気もします。
つまり、自然の中で自然のあるがままを受け入れながら暮らすのか、
あるいは自然をじっと見つめ、その変化とうまく折り合いをつけながら暮らすのか、
もしくは、傘をさすように、
自然に対抗しながら人間社会を維持するのか、といったことですね。

雨宿りといえば、
以前フランスのオヴェール・シュル・オワーズという
ゴッホの終焉の地へ行った時のことです。
ゴッホと弟テオのお墓を見に行く途中、
ゴッホが絵に描いた麦畑のまん中で
絵のような突然の激しい雷雨にあい、
あわてて1塔の小さな教会に駆け込みました。
その教会もまたゴッホが絵に描いた教会でした。
僕も小学生の頃、その絵を模写した憶えがあります。
教会の中にはギターを持った一人の修道女がいて、
僕が雨宿りをしている間、ずっとギターをひきながら賛美歌を歌っていました。
そのやさしい調べと澄んだ歌声を聞いていうるちに、
雨に濡れた僕の服は、どんどん乾いていきました。
小1時間で雨は上がり、その小さな音楽会も終了しました。
外に出ると麦畑には、これまた絵のような虹がかかっていました。
僕は街へ下りて行き、カフェであったかいエスプレッソコーヒーを飲みました。

さて、最後に『万葉集』から、傘がなかった時代の相聞歌を一組ご紹介します。

まず女性から、


雷神(なるかみ)の

少し響(とよ)みて

さし曇り

雨も降らぬか

君を留(とど)めむ


これに対して男性が、


雷神(なるかみ)の

少し響(とよ)みて

降らずとも

われは留(とま)らむ

妹(いも)し留(とど)めば


僕が作った『Contemporary Remix “万葉集”』という本の同時代語訳では
こんな訳になります。


雷が鳴って

雲が広がり

雨が降ってくれたなら

帰ろうとしているあなた

きっと引き止められるのに


雷が鳴らなくても

雨が降らなくても

君が引き止めてくれたなら

僕はここにいるよ


まあこんな具合に、傘がない、という状況もまた
いろいろと出会いがあり、物思うことも多く、楽しいものです。

今日はこんなところでお開きです。
どうもお粗末様でした。

そう言えば、最近キーボードで「残念」と打つ時に、
nを一つ打ち損じてしまい、「残縁」と打ってしまうことがよくあります。
で、この「残縁」という言葉、何か気に入ってしまいました。
縁が残る、っていいですね。
英語の「See you again!」とかフランス語の「Au revoir!」みたいな感覚で
さよならのあいさつに使ってはどうかと思ったりして・・・。

というわけでみなさん、また近々に。
残縁!

2000年4月19日
三枝克之

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  今回の<茶話>の文中でご紹介した、僕が以前に企画編集した本、
 『Contemporary Remix “万葉集”』シリーズが、
 このたびフジテレビの『恋ノウタ』という5分のミニ番組でテレビ化されました。
 関東地区のみのオンエアですが、4月6日から
 毎週木曜日の22:54〜23:00に放送されています。
 ナレーションは元プリンセス・プリンセスの奥居香さん、
 提供は日本テレコムです。
 とりあえず秋ぐらいまでは放送されるようなので、
 関東地区にお住まいの方、よければ一度見てみて下さい。
 (一応、フジテレビのホームページに番組宣伝ページがあります。
 http://www.fujitv.co.jp/jp/b_hp/koinouta/index.html

  ちなみに本の方は、
 『LOVE SONGS Side.A』
 『LOVE SONGS Side.B』
 『SONGS OF LIFE』
 の3巻が発売されています。
 僕は企画編集のほか、ドス・マスラオスなるペンネームで友人と共同執筆もしています。
 『万葉集』の恋愛の歌を、現代のポップソングの歌詞のノリで訳して、
 プロアマ問わず集めたスナップ写真とともに見せていくという、かなり変な本です。
 あの浜崎あゆみさんが愛読しているという話もあったりします。
 出版社は光村推古書院というところです。(TEL:075-493-8244)
 こちらもぜひご一読のほどを!

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