ギャルリ・ムスタシュで、またてらぴかさんの新作展が始まりました。
思えば僕がてらぴかさんと「縁が繋がった」のも、
てらぴかさんの1993年のムスタシュでの初めての展覧会がきっかけでした。
てらぴかさんと僕の出逢いについては<奴凧>でてらぴかさんが書かれているとおりなのですが、
今日はそのムスタシュ展を記念して、
僕サイドから見たてらぴかさんとの「縁の繋がり方」について少し書いてみたいと思います。
<奴凧>と照らし合わせながら、甘茶でもなめつつお読みください。
<茶話その6 縁>
そのころ僕は約1年半にわたってウツ病に苦しんでいて、
薬に頼りながらかろうじて日々を生きていました。
そんなある日、原宿のラフォーレミュージアムエスパスで開催されていた、
ある女性写真家の写真展のオープニングパーティーで僕は二人の女性と知り合いました。
女性のうち一人は詩人で、もう一人は前衛舞踏のダンサーでした。
そしてパーティー終了後、僕は彼女たちに誘われるまま3人で食事に行きました。
2時間ほどごく普通にとりとめもない会話をしながら食事をし、すぐに別れました。
一人になった僕は原宿駅のホームで電車を待ちながら、
ふと、ウツが抜けたことを感じました。
案の定、京都の下宿に戻ってみると、
なぜかいつまで経ってもちっともしぼまないので不思議に思い
約1年半もの間そのままにしてあったゴム風船がしぼんでいて、
ゴムがドロドロに融けていました。
会社で雑誌『イラストレーション』を見ていると
寺門孝之さんの新作が何点か掲載されていました。
「あれ、寺門さんってこんな絵を書いてたんだっけ?」
当時の僕にとって寺門さんはコンピュータで絵を描くアーティストというイメージでした。
自分の中でずいぶんと寺門さんへのイメージが変わり、身近になった気がしました。
折しもちょうど読んでいた例の女流詩人のエッセイ集の装丁装画が、寺門孝之さんでした。
それから数日して1枚のDMが会社に届きました。
ギャルリ・ムスタシュというそれまでおつきあいのないギャラリーからの
寺門孝之さんの展覧会の案内でした。
そのハガキを見た瞬間、僕は寺門さんと繋がりました。
僕は「ああ、きっとこの人の本は僕が作ることになる。いや僕が作らねばならない」
そうはっきりと感じたのです。(閑話休題その1)
結局僕は仕事に追われ、そのムスタシュの展覧会は見に行けませんでした。
その第1回のムスタシュ展は、
寺門さんが神戸に移り、<絵>に没頭することを決めてから最初の、
言い換えれば、今のてらぴかワールドがスタートを切った
じつにエポックメーキングな展覧会でした。
後日その時の作品の多くは直接拝見することができたのですが、
それでも、当時あの珠玉の作品群を会場で見なかったことは
今でも後悔しています。(閑話休題その2)
寺門さんの展覧会に行けず「今回は縁がなかったなあ」などと思っていたある日、
例の前衛舞踏のダンサーから公演の案内状が届きました。
京都の西陣の織物工場跡で開催される白虎社の『ドリームタイム』という公演でした。
僕はのちに妻となる女性とその公演を見に行きました。
その頃にはすでにウツから躁へと移りつつあった僕は、
すっかりその公演に舞い上がってしまいました。
<ドリームタイム>というテーマ(オーストラリア原住民アボリジニの世界観)にも
たいへん心ひかれました。
思えば、偶然同じ公演を見ていた寺門さん夫妻との『かごめドリーム』の制作作業は、
すでにこの時からスタートしていたわけです。
僕が会社で寺門さんからのお電話を受けたのはその数日後の事でした。
「そろそろ繋がるころだと思ってました」というつもりが、うまく言葉が出ずに
「そろそろ連絡があるころだと思っていました」という
何ともゴーマンな言い方になってしまいました。
数日後、神戸のアトリエで初めてお会いした時にはすでになんとなく、
ずっと子どもの頃からの知り合いのような気がしていました。
お互い学生時代に映画を作っていたことや村上春樹の小説のことなど話したと記憶しています。
僕は「この人の本さえ作れたら、もうこの出版社をやめてもいいや」と思いました。
僕の本作りはアーティストと呼ばれる人たちとぶつかることも多いのですが、
寺門さんの場合はまったくそういうストレスを感じることなく作業が進みました。
『かごめドリーム』の姿がほぼ見えてきた頃、
寺門さんのピガ原宿画廊での初めての展覧会が開かれました。
オープニングレセプションに参加した僕は、そこに出品されていた2点のペアになった絵を見て、
すぐにそれを購入しました。
寺門さん夫妻が新婚旅行で訪れた、イタリアの風景をモチーフに描いた絵でした。
僕はその2点の絵を、僕と同じく寺門さんの絵が好きだった彼女にプレゼントしました。
婚約指輪の代わりでした。
タンスの奥にしまわれて日頃見られることもない指輪よりも、
壁に飾って毎日二人で見ることができる絵の方が素敵だと思ったのです。(閑話休題その3)
1年足らずの制作期間を経て、『かごめドリーム』は完成しました。
時同じく寺門さん夫妻には、『かごめドリーム』とほぼ同じ時間胎内生活を送っていた
初めてのお子さんが産まれました。
お二人が付けたお名前は僕の母の旧姓と同じでした。
そして、僕は本が完成すると、予定通り出版社をやめました。
以前から憧れていた結婚退社でした。
で、結納を済ませるとすぐに彼女と長い旅に出かけました。
今思えばこの頃の一連の行動は、かなりの躁状態のなせる技だったのかもしれません。
そんなわけで『かごめドリーム』の出版記念の展覧会が
あの原宿のラフォーレミュージアムエスパスで開催されている頃、
僕と彼女はイタリアやスペインやモロッコをうろうろしていました。
またその間彼女の実家の床の間には、
高砂人形や水引の結納飾りと並んで寺門さんの2点の絵が飾ってありました。
そして、それから5年、今では<てらかぴのえんがわ>に
なぜか<茶室>まで建てていただいております。
てらぴかさんのような縁力の強い方との出逢いにおいては、
たくさんの人が多かれ少なかれ、
僕が書いたような不思議な縁を実感しながらてらぴかさんと出逢っていることと思います。
また、たとえ相手がてらぴかさんでなくとも、
そもそも人と人が出逢い、親しくなるということのウラには、
このような何重にもなった複雑な縁のネットワークがはりめぐらされているはずです。
触覚を外に出し、きちんと動かしさえすれば、
このネットワークの姿が浮かび上がって来ます。
僕は「人生の分かれ道」という考え方をしません。
あの時こうすればよかった、ああすればよかった、と後で考えるのが嫌いなのです。
むしろ「人生は網の目」です。
たとえ一度間違った道を選んだとしても、縁のネットワークをたどっていけば、
必ずや元の進みたかったところへとたどり着くことができます。
会いたいと思う人ややりたいと思うこととは、きっと繋がっているはずです。
要はそこへ進みたいという気持ちが大事なのだと思うのです。
縁は、奇跡ではなく、必然、
そう僕は思います。
今日はこんなところでお開きです。
どうもお粗末さまでした。
それではまた近々に。
2000年4月10日
三枝克之
閑話休題その1:
DM1枚で?、と思う方もいるかも知れませんが、DM1枚の情報量はすごいものです。
僕も仕事柄いろんな方からたくさんのDMをいただきますが、
少なくとも僕に関しては、はるばる来てくれたハガキから
できるだけたくさんのことを知ろうと思い、結構ツブサに見ています。
これから美術作家を目指す方々へは、編集者の立場からは
DM1枚あなどるべからず、と申し上げたいと思います。
閑話休題その2:
今回のムスタシュでの「baby
oil magic」展もエポックメーキング!
油彩の画法としては画期的な技が使われているのを見ることができましたし、
巨匠と言われる画家たちが闊歩した絵画黄金期の匂いをまとった絵が産まれていました。
必見です。
印刷物に関わっている仕事をしながら言うのもなんですが、
絵はやはりナマモノだと思います。
新鮮な時にしっかり生で味わうのが一番です。
まあ、もちろん印刷物には印刷物の味わいがあるわけですが・・・。
閑話休題その3:
美術館や美術展、あるいは展覧会で作品をもっとも楽しく見るコツは、
作品を買うつもりで見ることです。
こういうと語弊があるかも知れませんが、
どの作品もその作者はそれを買ってもらうために作っているのです。
だからその作品の素晴らしさを本当に理解しようとするならば、
買うつもりで見るのが一番です。
僕自身そういうふうに見るようになってから目が肥えたような気がします。
それと、エンゲージリングピクチャーって、我ながらいい考えだと思います。
近々結婚予定の方にはぜひお勧めします。
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