*オートクチュールとプレタポルテについて*
年に2度、ファッション雑誌は必ずといって良いほど「コレクション特集」というものを掲載します。「コレクション」とは春夏・秋冬に向けて半年前に行う服の発表会・展示会のことを言い、年に2回開かれます。「コレクション特集」とは、この模様を「写真」、「編集部、又は評論家の評価」、「地域ごとの“流れ”」、などについて書かれたもので、雑誌によってはより詳しくコレクションの状況を伝える為に、別冊として「コレクション号」を刊行している場合もあります。
「服の発表会・展示会」と一言で言いましても、実際にはいくつかの種類に分類することが出来ます。その分類の一つが、「オートクチュール」と「プレタポルテ」になるのですが、今回はこの事についてサクッと書いていきたいと思います。皆さんも、サクッと読んでください。
さて、皆さんはこの「オートクチュール」と「プレタポルテ」の違いをご存知でさうか? 「オートクチュール=haute
couture(仏)」とは、本来は「高級衣裳店」のことで、アトリエを持ち、其処で働くクチュリエ(針子さんの事です。女クチュリエール)が決まった顧客の為にデザイン・生地・仕立て等、全てにおいて最高級のものを作り提供すると言うもので、今日ではこのようにして作り上げられた服のことを「オートクチュール」と呼んでいます。そして、フランス政府の助成を受けて出来ている「シャンブル・サンディカル(パリ・クチュール組合)=Chambre
Syndicate de la Couture Parisinnes」と言う組合があり、この組合に加盟している22のメゾン(メゾンとはフランスのオートクチュール店の事です)のことを「オートクチュール」と言うことが出来ます。シャネル、イヴ・サン・ローラン、クリスチャン・ディオール、ピエールカルダン、ウンガロ、などがそうですが、ここ数年でオートクチュールを作るのを辞めているメゾンも多くあります。ギ・ラロッシュやランヴァンなどがそうです。
話がそれましたが、言いかえればこの組合に加盟していないメゾンは「オートクチュール」とは呼べないのです。それでもショーを行っているメゾンはありますが、それらは「クチュール」として区別されています。日本にも世界で活躍されている有名なデザイナーさん達がいらっしゃいますが、日本人でパリ・クチュール組合への加盟を許されているのは、森英恵さんのメゾンだけです。しかし顧客である大富豪の減少が相次ぎ(現在世界中に「オートクチュール」の顧客は200人いるかいないかだそうです。その内訳は60%がアメリカ人、20%がアジア人、残りの20%がヨーロッパ人)、時代の流れの影響もあってか、60年代から、組合に加入しているメゾンの中にも「プレタポルテ」や「香水」などを扱うところも出てきました(香水の売り上げはすごいです)。「オートクチュール」のコレクションはパリだけで行われていますが、組合によって定められた、コレクション開催ための厳しい条件も数多く存在し、アトリエには20人以上のクチュリエがいる事、そしてシャンブル・サンディカルが決めた日程で年に2回、50以上の作品を発表する事など、がその条件として定められています。
じゃあ「プレタポルテ」とは何かと言いますと、「プレタポルテ=Pret-a-porter(仏)」とは「すぐに着れる服=既製服」のことを言い、日本語では「高級既製服」の事を指します。「プレタポルテ」は、特定の顧客に対して作るのではなくて、決められたサイズに基づいて二次メーカーと呼ばれるアパレルメーカーが大衆に向けに生産し、小売産業が販売すると言うものです。「プレタポルテ」のコレクションは世界各国で行われており、代表的な所では、パリ・ミラノ・ロンドン・ニューヨークなどが有名です。
「オートクチュール」と「プレタポルテ」の違いを簡単に言うと、「アトリエで顧客に向けて作っているか、それとも工場で大衆に向けて作っているか」と言う事です。単純にこう書きましたが僕の考えからするとこの二つの立場は全然違います。「オートクチュール」は“「お客(顧客)」に「作り手(クチュリエ)」が「技術」を提供するもの”で、「プレタポルテ」は“「お客(大衆)」に「作りて(メーカー)」が「商品」を提供するもの”なのです。
何度も言っていますが服は実用的でなければいけないと僕は思います。そう言う視点で見てみれば「プレタポルテ」の方が勝っていると、僕は思います。しかし、最近の経済悪化に圧され、閉鎖的ではあるけれど職人(クチュリエ)の技術と名誉を伝えてきた「オートクチュール」の作品は、実用的である必要が少ないものですが(少なくとも僕には縁の無いものです)、すばらしいと認めざるが得ないもの、つまり「芸術品」なのです。神戸の「ファッション美術館」で、その作品群を御覧になれます。一度「芸術品と成り得る服」に触れてみて下さい。それは、クチュリエの執念に触れる事にもなるでしょう。恐るべしクチュリエの執念そして、“素晴らしい…”。
それでは今回はこのあたりで、失礼致します。小銀杏でした。
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